日本人と「縮み」志向について考えた話です。
「縮み」志向の日本人
ネットをさまよっていたら、「縮みの文化」という言葉に行き当たりました。
「縮み」という事に着目した日本人論のひとつで、昔話題になったのを思い出しました。
たしか、書籍が話題になり、本屋で斜め読みした記憶が有ります。
調べてみると『「縮み』志向の日本人』という本でした。
幾つかの版が有るようですが、最初の出版は何と1982年で、40年以上も前でした。
いつも思う事ですが、何時の間にそんな時間がと驚くばかりです。
「縮み」志向
しっかりと当該の本を読んだわけでは無いので、ネットで調べた内容が中心になりますが、主張としては次のようなものです。
1982年出版という事で、それまでの高度成長期を通り抜けて来た日本の発展の理由について考察したものになります。
その高度成長を支えたものが、日本人の意識の底にに共通して流れている「「縮み」志向」だという訳です。
その「「縮み」志向」ですが、「小さいものに美を認め、あらゆるものを<縮める>ところに日本文化の特徴がある」という事のようです。
どんなものが「縮み」志向なのか
扇子、庭、トランジスタ、折詰め弁当等に「縮み」志向が見られるという事らしいです。
それらを、入れ子型、扇子型、姉さま人形型、折詰め弁当型、能面型、紋章型という6つの型に分類して説明されます。
例えばトランジスタを始めとする半導体を使って、高機能化をしつつ小型化をして行く。
世界を席巻したウォークマンなどが、この代表でしょうか。
これは畳み込むという事で、扇子型という事だそうです。
折詰め弁当型の代表である、折詰め弁当はどうか。
膳で供される食事を縮めて、可動的なものにつくりあげるところに発想の原点がある、と考えます。
「縮み」も有るが
確かに「縮み」という捉え方で説明出来るものもあるのかもしれません。
しかしそれを志向しているとまで考えるのはどうなんでしょうか。
折詰め弁当は、別に膳で供される食事を縮めて、可動的なものを作り上げているわけでは無いと思うのですが。
それに基となる膳も、どんどんコンパクトになっているという事も無いですしね。
最近では、全国的に巨大な仏像や観音像が作られていますが、どうなんですかね。
これについては、これまでも奈良の大仏を始めとして少なくないものが作られていいますから、昔からそうだったようですし。
「縮み」一本でというのはどうなんでしょう。
ではどう考えるか
というような事をかんがえていたら、これらのものを支える背景のようなものに気が付きました。
それは、「不断の品質と機能の追求」という事です。
我が国においては、全てのものが対象と言っていいほどに,、常に商品の品質と機能の改善が行われています。
トヨタの「改善」が「KAIZEN」という英単語になったのが象徴的ではないでしょか。
「不断の品質と機能の追求」の結果がウオークマンなのです。
折詰め弁当も、持ち運べるものを追求した結果であり、単に縮めたわけでは無いのです。
結果で有って、それを志向した訳では無いという事です
時に機能の追求が過ぎて、機能てんこ盛りでかえって使い難いという皮肉な事も起こるのですが。
次回は、なぜ日本人が「不断の品質と機能の追求」をするようになったのか考えてみたいと思います。
ではでは