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時間だけはある退職者が、ボケ対策にブログをやっています。

結局ピラミッドとは何なのか

ピラミッドとは何なのかを考えた話です。

ありがちなパターン

 前回まで5回に渡って、「最古のパピルスから」というタイトルで書いて来ました。

途中からは「最古のパピルス」と直接の関係は無く、ほぼ仮説に仮説を重ねた話(妄想とも言う)になっていて、タイトルとしてどうなのかという状態になっていますが。

まあこのブログでは、比較的ありがちなパターンではあるのでいいでしょう(いいのか)。

今回は、前回までの内容もふまえて、あらためてピラミッドとは何なのかを考えて見たいと思います。

ピラミッドと言えば

 前回までの記事での最終的な結論は、ギザの三大ピラミッドの現在までに発見されている部分は、いわば全て盗掘者をだますためのダミーであり、本当の墓はピラミッドの直下または周辺の地下に今でも有るのではないかというものでした。

本当の墓と書きましたが、それを墓室と捉えれば、あくまでのそういった設計として、ピラミッドも含めて全体が墓だと考える事も可能です。

もっとも、本当の墓の部分が例えば100メートルほど離れた所にあった場合はどうでしょう。

これも、そのあたりまで含めた土地を墓所として考えることが出来そうです。

やはりピラミッドは墓として作られたと言えそうです。

墓ではあるが

 墓と考える事は出来そうですが、ピラミッド自体にはそれほどの意味は無かったのではないでしょうか。

確かにあれほどの物を造ることが出来るのは、ファラオだけで有り、その絶対的な権力を示すに絶好の物だったと言えるでしょう。

それ以外には、例えば宗教的にとか、死生観からといった必然性は無かったと思われます。

そういった事を示す、文章や遺跡のようなものは見つかっていないはずです。

もし見つかっていれば、疑問の余地なくピラミッドは墓だと断定されているはずです。

現実には、いまだにピラミッドについては、その存在理由について議論が続いていることからも分かります。

では何だったのか

 ではピラミッドは何であったのか。

墓の一部であるのですから、墓石のようなものではないかと思うのです。

前回までの記事で書きましたが、ピラミッドはそれ以前からあった墓の形式である、マスタバから派生したと考えています。
 

引用元:マスタバ - Wikipedia

地上の方形部分がピラミッド型になったと考えています。

つまり、地上部分はどんな形でもいいのです。

これは、現代において墓石に様々な形が見られるのと同じだと思うのです。

時代が下って、ツタンカーメンの墓で有名な「王家の谷」に墓が造られる頃になると、専ら地下に造られ地上にはほぼ何もないという形式になったことを見ても、それほど意味があるものでは無かった事が分かります。

ピラミッド型の地上部が一時期流行したという事なのではないでしょうか。


 古代日本で全国的に前方後円墳が造られたのも、実は流行しただけだったのかもしれません。


ではでは