最古のパピルスの内容から考えた話2です。
前回の記事
前回の記事は、最古のパピルスと呼ばれている発掘物の内容から、ギザの三大ピラミッドが作られた背景について考えた話でした。
最古のパピルスより解読された内容から、クフ王のピラミッドが作られた時代に、すでに高度な官僚組織が存在している事が分かりました。
現代でもそうであるように、官僚組織は一旦始めた仕事が継続しがちです。
その特徴が、三代ピラミッドの造営事業にも影響したのではないかという訳です。
いったん獲得した既得権益は、なかなか手放せないという事です。
勿論、三代のファラオがピラミッドを作りたくなかったのにお役所仕事で作る事になったということで無く、背景として推進する流れが有ったという話です。
書かれた年も分かった
そういった事が読み取れた最古のパピルスですが、その他にも分かったことが有ります。
それは書かれた年についてです。
前回の記事でも触れましたが、最古のパピルスはメレルという人物の業務日誌のようなもので、トゥーラという採石場からギザに石を運んだことが書かれています。
その中に、「クフ王の下で13回目の家畜調査が行われた」年という記述があったのです。
他の研究から、家畜調査は2年に一回行われたことが分かっているそうです。
つまり、トゥーラからギザに石を運んだのは、クフ王の即位から26年目の年だったという事になります。
出来上がったのは
さらに、トゥーラで採れるのは白い石灰石で、ピラミッドの表面の化粧用として用いられたことも分かっています。
という事はクフ王から26年目の年には、ピラミッドが最終の仕上げ段階に入っていたと言えるわけです。
加えて、通常ファラオの墓は即位と共に作り始められるようです。
そして、これも他の研究から、クフ王は即位から26年目に亡くなった事が分かっているのです。
以上の事を考え合わせると、クフ王のピラミッドは、クフ王即位の年から作り始めて、26年目の年に出来上がったと言えそうです。
クフ王ピラミッドの建造期間は、26年だったのです。
という事なのだか
クフ王はその在位の期間中ピラミッドを作り続けて、その死と共に完成したピラミッドに葬られたのでした。
という事であれば、納まりの良い話になるのですが、どうもそうではなさそうです。
ピラミッドから、肝心のクフ王のミイラが見つかっていないのです。
盗掘に遭ったとも考えられますが、それにしては内部が綺麗すぎるのです。
例えば、石棺と言われているものですが、
これが、盗掘後の物とは思えないのです。
盗掘後だとすると、重いと思われる蓋の部分も盗んでいったというのでしょうか。
こう考えると、クフ王が葬られた形跡が無いのです。
間に合わなかった
とは言うものの、石棺にしてもその他の構造にしても、いかにも墓として作られたように見えます。
どういう事でしょうか。
ひょっとして、クフ王のピラミッドは、墓として作っていたが、クフ王の死には間に合わなかったのでは無いでしょうか。
完成間近まで行っていたが、残念ながらクフ王が亡くなってしまったのです。
そのためにクフ王は、別の場所に葬られ、その後にピラミッドが完成した(お役所仕事ですから)のではないでしょうか。
そう考えれば、石棺などが、いかにも途中で放棄したような状態なのも納得出来そうです。
となると、26年で完成したのかどうかは分からないという事になります。
ではでは