最古のパピルスの内容から考えた話1です。
最古のパピルス
2013年にエジプトのワディエル=ジャラフという遺跡で、古代エジプト時代のパピルスが発見されました。
あのギザの大ピラミッドを作ったクフ王の時代の物で有る事が分かり、最古のパピルスと呼ばれているようです。
発見されたワディエル=ジャラフは、大ピラミッドから南東に約200km、紅海沿岸の地で、ピラミッドが造られた当時には港であったらしいです。
パピルスとは、パピルス草の繊維から作られた紙状(現代の紙のように繊維を絡ませていないので、狭義の紙では無い)の物ですが、約4500年もの間残っているというのは驚きです。
もっとも、古代エジプト人の技術が凄いというよりも、植物の凄さを見せつけられたというところでしょうか。
書かれていた内容
パピルス自体が見つかったことも驚きですが、その内容も興味深いものでした。
内容としては、メレルという人物の業務日誌とでも呼べるようなものでした。
メレルという人は、王のために様々な物を運んでいた40人ほどのチームの監督という立場の人物です。
その日誌の中に、トゥーラという採石場から石を運んだことが書かれています。
そのトゥーラで採れるのは、白い良質の石灰岩でした。
それを、ギザに運んだという事が書いて有ったのです。
高度に組織化されていた
どうもメレルという人物は、中級の役人でチームを率いて活動をしていたようです。
という事は、4500年前のクフ王の時代には、すでに高度に組織化された行政のシステムが存在していたと考えられそうです。
まあ、大ピラミッドのような巨大で複雑な構造物を、おそらく10年単位の期間に渡って作り上げていくためには、それなりのシステム化されたものが有っただろうことは、容易に想像できるところではあるのですが。
それが、実際にパピルスに残された形で確認されたという訳です。
組織が有ったから出来た
高度に組織化された行政のシステム、言い換えれば高度な官僚システムがすでに有ったという事になります。
このことが、ギザの三大ピラミッドと呼ばれる、三つのピラミッドを作るkとになったのではないかと思うのです。
とは言っても、最初のクフ王のピラミッドについては、クフ王が命じて作らせたのでしょう。
その王の命に従って作る訳ですが、先にも書いたように片手間で作れるはずもなく、結果的に高度な組織を作り上げて対処することになったのです。
その結果は、4500年後の今日もギザで見られるように、見事に完成させる事が出来ました。
組織が有ったので続いた
問題はその後です、ご存知のように官僚システムでは、一旦始めたものを終わらせることは難しいです。
いわゆる、既得権益ということです。
更に、ピラミッド建造関連の活動が、人的にも費用の面から見ても、非常に大きなもので有った事は確かでしょう。
これを、ピラミッドが完成したからといって次の日から全てを停止する事は、現実問題とし難しかったでしょう。
そういった事が、続く2代のファラオがピラミッドを作る原動力になったのではないでしょうか。
特に、三代目の時には、大きさから見ても国力が低下していたことは明らかだと思われますが、それでも小さなピラミッドを作ったのには、このような背景があったのかもしれません。
始めるのは簡単でも止めるのは難しいというのは、有りがちですよね。
ではでは