インカ帝国と太陽活動についての話です。
今回はインカ帝国
前回の記事では、南北アメリカ大陸で紀元前から続いてきたマヤ文明と太陽活動の関係について考えました。
前回にも書いたのですが、私的には南北アメリカの文明というと、どうしても「マチュ・ピチュ」のインカ帝国が浮かびます。
ところが、前回にも挙げた南北アメリカ文明に関する図表を観ると分かるのですが、インカ帝国はマヤ文明に比べると比較的短い存続期間で有る事が分かります。
引用元:[2. アジア・アメリカの古代文明] 13.南北アメリカ文明 | 世界の歴史まっぷ
その存続期間は、日本で言うと室町時代から戦国時代であり、戦国時代と太陽活動の関係から考えても、何かあても可笑しくはなさそうです。
という訳で、今回はインカ帝国と太陽活動です。
インカ帝国の歴史
インカ帝国を築いたインカ族は、12世紀頃にクスコ周辺に移住して成立したようです。
その後クスコの都市国家を基盤にクスコ王国が形成されたと考えられています。
文字による記録が無いため、その詳細が分かっているわけでは無いようです。
しかし、上の図表を見ると、いきなりインカ帝国がどこからからか湧いて出て来たように見えますが、その前身となるものが存在したという事になります。
1438年にパチャクテクにより、クスコ王国が帝国化されインカ帝国となり、拡大を始めます。
その後、南北4000㎞に達する大帝国となりますが、1533年にスペイン人に滅ぼされ、終焉をむかえる事になります。
太陽活動で見ると
以上を、太陽活動に照らし合わせてみます。
12世紀頃のクスコへの移住とクスコ王国の成立は、中世極大期への回復の中で起こったと言えそうです。
シュペラー極小期への低下とそこからの回復の始まりの中で、帝国化がされ拡大への道を歩む事になります。
最初に朝廷を中心とする全国的な社会システムが有った日本と異なる点はありますが、シュペラー極小期からの回復の中で拡大していったというのは、最終的に全国統一を目指した戦国時代と似ており、面白い所です。
このままいけば、徳川政権のように長期に渡って続いたかもしれませんが、不運にもスペイン人がやって来てしまった訳です。
当然とはいえ、太陽活動の変化は全世界的な規模で影響を与えている事が確認出来たといったところでしょうか。
ではでは