アステカ文明と太陽活動についての話です。
今回はアステカ文明
前回は、インカ帝国と太陽活動について考えました。
インカ帝国の歴史と太陽活動の関係が、我が国の戦国時代の状況にも通ずるものが有るという話でした。
そのインカ帝国は南米のアンデス山脈沿いに発展した国でしたが、それと同時期の中米にはアステカ文明が栄えていました。
引用元:[2. アジア・アメリカの古代文明] 13.南北アメリカ文明 | 世界の歴史まっぷ
とさも分かったような事を書いていますが、個人的にはいまだによく分からなかったりします。
南北アメリカ文明というと、マヤ文明、インカ帝国止まりで、アステカ文明と聞いても今一つピンとこないというのが実情です。
調べてみると、その王国の首都であったテノチティトランは、現在のメキシコの首都メキシコシティーの基となったという事のようです。
インカ帝国のマチュピチュのように、直ぐに思い浮かべられる具体的なイメージが無いのが原因かも知れません。
それはさておき、今回はアステカ文明と太陽活動です。
アステカ文明の歴史
アステカ文明を築いたアステカ人は、12世紀頃にメキシコ盆地に辿りつき、定住したようです。
その後テノチティトランを築き、アステカ王国が形成されたと考えられています。
この辺りは、インカ帝国の形成期と非常によく似ており、興味深い所です。
1428年になって、当時覇権を持っていた国を滅ぼし(それまでは、アステカ王国は属国の関係だったようです。)アステカ艇庫を形成することになります。
その後勢力拡大を行ったことや、帝国形成時期が10年しか違っていないことも含めて、アステカとインカの歴史は、非常に似ていることが分かります。
そして、スペイン人によって滅亡させられた点も同じです。
太陽活動で見ると
以上を、太陽活動に照らし合わせてみます。
が、太陽活動との関係も、ほぼインカ帝国のそれと同じような事が言えるという事になりそうです。
12世紀頃のメキシコ盆地への移住とアステカ王国の成立は、中世極大期への回復の中で起こったと言えそうです。
シュペラー極小期への低下とそこからの回復の始まりの中で、帝国化がされ拡大への道を歩む事になります。
インカ帝国でも考えたように、シュペラー極小期からの回復の中で拡大していったというのは、最終的に全国統一を目指した戦国時代と似ています。
このままいけば長期に渡って続いたかもしれませんが、スペイン人がやって来たのが、アステカ人にとっても不幸だった訳です。
アステカ文明も、太陽活動の変化が全世界的な規模で影響を与えている一つの事例と言えそうです。
所変われど、人間は人間という事でしょうか。
ではでは