縄文時代の物流について考えた話です。
縄文時代も交易
縄文時代で特徴的な事といえば、このブログでも取り上げたことが有る、個性的な土偶や土器が挙げられますが、個人的には、広範囲にわたる物の移動も気になるところです。
黒曜石やヒスイなどの特定の地域でしか産出しない物が、非常に広範囲の地域の遺跡から発見されることから、縄文時代にも活発な交易が行われていたと考えられています。
例えば、長野県で出土する 黒曜石 や、新潟県で出土するヒスイが、千葉県の加曽利貝塚で出土したといった具合です。
引用元:【高校日本史B】「縄文時代の交易」 | 映像授業のTry IT (トライイット)
どうやって交易が
とはいうものの、何か釈然としない気がするのです。
これらの物が運ばれてきたとして、誰が何のために持って来たんだろうかと思うのです。
例えば、それを商売にしようと思った人が、自分で運ぶか誰かに頼むかして持ってきて、販売する事になります。
しかし縄文時代に貨幣経済はないので、お金を貰うという訳にはいきません。
従って、物々交換ということになりますが、丁度うまい具合に交換出来るものが各地に有ったとは思えません。
それ以前に、狩猟採集を行っていた人々が、どうやって遠隔地まで運んだのでしょうか。
途中で、狩猟採集をしながら運んで行ったのでしょうか。
というように、どうも現実的では無いような気がしていたのです。
しかし、現に各地の遺跡から発見されているので、物が何らかの形で運ばれてきたのは疑いようがありません。
どう考えれば良いでしょうか。
時間がポイントか
以前の記事で、一万三千年!も続いたと考えられている期間を、縄文という一括りの捉え方をするのはどうかという記事を書きました。
今回の物流の話も、同じ事なのでは無いかと思いつきました。
現代人としては、物品が生産地から離れたところに有れば、短時日で運ばれてきたと考えてしまいがちです。
何しろ、近くのスーパーにでも行けば、それこそ全国からの生鮮品が並んでいますからね。
例えば、黒曜石で矢じりが作られると、すぐに全国各地へ向けて送られていたかのように思ってしまう訳です。
しかし、それが一万三千年の時間の間に起きたことだと考えてみます。
そこに、産地から発掘された場所まで運ぶための、人と手段を考える必要は無くなるのではないでしょうか。
短時間で直接運ばれたのではなく、隣り合うか、ごく近傍のグループ間で物々交換や贈与などによって長い時間を掛けて伝播していき、その結果として広範囲に分布したものだとするとどうでしょう。
それを我々が発掘し、現代的に考えて、なにか広範囲の物流網のようなものが有ると考えてしまったという事なのではないでしょうか。
意外と、黒曜石の矢じりが嫁入り(婿入り)道具だったかもしれません。
ではでは