土偶について考えた話です。
『土偶を読む』に触発されて
縄文時代の遺物を代表するものとして、あの有名な火焔型土器と、これもまた良く知られた遮光器土偶を代表とする様々な土偶が、双璧と言っていいでしょう。
その土偶に関しては、昨年に竹倉 史人氏の『土偶を読む』という本が出て話題を振りまきました。
何しろ、従来当然のように土偶について語られてきた、女性をデフォルメしたものだという見方に真っ向から異議を申し建てた上に、植物や貝などの食料をモチーフとしたものだというものだったので、賛否取り交ぜた反応が多く見られました。
私的には、なるほどとそりゃないだろうが入り混じって、全てに納得は出来ないというところでしょうか。
ただ、触発されたことは確かで、改めて土偶について考えてみて、なんとなくこんなことなんじゃないかという仮説にたどり着いたので、その話になります。
代表的な土偶を見て見ると
まず、代表的な土偶の変遷図をご覧ください。
引用元:土偶 | 新美術情報2017
これを見ると、左下あたりのものをみると、確かに女性らしいものも有りますが、単純に女性がモチーフと言うだけでは苦しいように見えますよね。
かといって、植物や貝がモチーフかというと、それらしいものも有るというところでしょうか。
中には、いっそ宇宙人だと言われた方が、納得出来そうなものも有ります。
ざっくりと人型という以外に、全体を通しての共通のモチーフなどは見られないように思えます。
だだ人型と言っても、全体に女性、男性に関わらず、ただ単に人間をデフォルメしただけのものでは無いようにも思えます。
それよりも、「仮面の女神」と呼ばれるものも有る様に、仮面をつけるか、または何らかの扮装をしているように見えるものが多いように感じます。
この、仮面や扮装というところから、一つの仮説を思いつきました。
モデルが有ったのではないか
それは、実際に仮面を付けたり、扮装をした人物をモデルとして作られたものではないのか、というものです。
一般的に土偶は、縄文時代に祭祀が有ったことの証拠として語られることが多いです。
祭祀に使った道具だと考えられるという事です。
しかし実際には、土偶に見られるような、仮面を付けたり扮装をした人物が行う祭祀が先にあったのではないかと思うのです。
その人物は、現在でも各地の祭祀などで見られるように、仮面を付けたり扮装をしたりすることにより、神またはそれに類する超自然的な存在になったのだと思います。
例えば、秋田の有名な「なまはげ」は、見た目から鬼だと思いがちですが、実は災いを祓いにやってくる来訪神である、といった具合です。
そして、仮面や扮装は、草木などの周りに有るものを使って作ることが出来るので、土器を作る技術、即ち土偶を作る技術が現れる以前から有ったと考えられます。
土器を作る技術を手に入れた時にそれを使って、神となった人物の像、即ち土偶を作ればその力を常に身近に置いておけると考えたのではないでしょうか。
残念ながら、縄文時代に宇宙人がやって来ていたという事ではなさそうです。
ではでは