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日本の正史

日本の正史について考えてみた話です。

 

 

日本にも正史がある

 邪馬台国フリークとしては、正史というと『魏志倭人伝』が含まれる『三国志』を始めとする中国のそれという事になる訳ですが、我が国日本にも「正史」が存在します。

 日本の正史は、最初にして最も有名な『日本書紀』から始まるわけですが、正史と呼ばれているものは6つ有り、合わせて「六国史」と呼ばれています。

具体的には

日本書紀
続日本紀
日本後紀
続日本後紀
日本文徳天皇実録
日本三代実録

の6つという事になります。

中国の「二十四史」は、漢代に成った『史記』から、清代に成った『明史』まで、長い時代に渡っています。

それに対して、日本の「六国史」の編纂時期は、飛鳥時代から平安時代となります。
いわゆる律令国家が、国家事業として編纂したという形です。

その後の、武士の時代となった鎌倉時代以降に、国史が編纂される事は有りませんでした。

そのためこれまでは、対外的に国家としての成り立ちを示すためのものと考えられている『日本書紀』は別格として、その他は律令体制の下で国家の記録を取ったぐらいに考えていました。

中国の正史との違い

 ところで、中国の正史は、いかに前王朝が徳を無くし、新たに天帝より命を受けた現王朝が取って代わったかを、その歴史を通して示し、それにより、現王朝の正当性を知らしめるために、作られました。

そのために『魏志倭人伝』を書いた西晋陳寿は、邪馬台国への行程に情報操作を行ったというのが、私の取る邪馬台国論の主たる論点の一つで、以前に記事を書きました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

それに対して我が国には、天命によって王朝が交代するという、いわゆる「革命」思想は有りません。

加えて、大和政権は、一系の天皇家が続いており、王朝の交代がそもそもありません。
この辺りは、様々な王朝交代説の有るところではありますが、正史による限り、王朝交代はなかった事になっています。

従って、「六国史」は、中国の正史のような性格を持ったものではないという事になります。

何のために編纂されたのか

 では、何のために編纂されたのでしょうか。

各正史の扱っている天皇の数は、『日本書紀』41代、『続日本紀』9代、『日本後紀』4代、『続日本後紀』1代、『日本文徳天皇実録』1代、『日本三代実録』3代と、まちまちです。

計画的に、後世に歴史を書き残すといった目的ではなさそうに見えます。

ということは、それぞれの正史に、その編纂をすることになった理由があったということになるのではないでしょうか。

それは、王朝の交代こそ無かったが、その時々において、何らかの正当性を主張するために編纂されたのではないかというのが私の考えです。

自らの利益のために編纂した、勢力または個人がいたのではないかという事です。


という訳で、次回は正史の始まり『日本書紀』が編纂された目的についてです。


ではでは