『日本書紀』がなぜ編纂されたのか考えてみた話 その2です
黒幕と理由
『日本書紀』の編纂については、従来考えられている、天武天皇の命によるとは考えられず、さらに、同書が完成した時点の天皇である元正天皇の命でもない可能性が高いと、前回の記事で考えました。
その上で、実際に編纂を行った黒幕と理由が別に有ったという事では無いかと想定しました。
ところで、日本では中国のように王朝交代は無く、形式的な最高権力は、常に天皇に有りました。
その下で、実質的な権力を巡って行われた闘争が、日本の歴史だったという捉え方も出来るかと思います。
そう考えると、日本の「正史」は、形式的な権力者である天皇の事跡を記録する事により、間接的にその時々の実質的な権力者の正統性を示すために書かれたのではないかという仮説が建てられます。
権力者が、黒幕であり、その権力の正統性を示すのが編纂した理由という事になります。
黒幕は不比等
さて『日本書紀』が編纂された当時の、実質的な権力者はというと、藤原不比等という事になります。
では、『日本書紀』は藤原不比等の権力の正統性を示すためにつくられたのでしょうか。
逆に言うと、正統性を示さなければならないような状況に、藤原不比等が有ったのかという事になります。
不比等に関する記述が『日本書紀』に現れるのは、持統天皇3年(689年)が初めてで、30歳の時となります。
亡くなったのは、元正天皇5年(720年)で、その間に、持統、文武、元明、元正の4代の天皇に仕えたことになります。
『日本書紀』は持統天皇までの記録
ここで、注目すべきは、『日本書紀』は持統天皇までの記録だという点です。
上に書いたように、不比等は4人の天皇に仕えた訳ですが、その不比等の編纂させた『日本書紀』が、一人目の持統天皇までというのはどういうことなのでしょうか。
中国の「正史」の考え方からすれば、持統天皇の先代の天武天皇までとして、その内容により、自分の仕えた最初の天皇である持統天皇の正統性を示すものになったはずです。
しかしそれが持統天皇までであったからには、『日本書紀』が編纂された目的は、持統天皇の次の文武天皇の正統性を示すためだったという事になります。
そうなると、文武天皇の正統性が疑われた場合に、不比等の権力基盤も揺らぐことが有るのかどうかを、考えてみる必要が有りそうです。
さらに、『日本書紀』が出来上がり、撰上されるまでに、元明、元正の2代の天皇も存在する訳ですが、なぜ元正天皇に撰上されたのかも気になるところではあります。
引っ張り過ぎだと言われそうですが、次回は不比等が『日本書紀』を編纂させた背景についての予定です。
ではでは