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なぜ『六国史』で終わったのか

六国史』以降に「正史」が作られなかった理由について考えた話です。

 

 

疑問

 わが国には、天帝による「革命」により王朝が交代するといったような世界観は有りません。

そのため、その「革命」の必然性を示すために作られた、中国の『二十四史』のようないわゆる「正史」を編纂する必要性は有りません。

さらに大和政権は一系の天皇家が続いていることから、王朝の交代そのもの無く、そういった意味でも、「正史」は必要ない事になります。

では、わが国の「正史」とされている『六国史』は何のために編纂されたのでしょうか。

という疑問から、『日本書記』から『日本三代実録』まで、その編纂理由を考えて来ました。

結論とさらなる疑問

 改めて振り返ってみると、『六国史』のいずれも、権力を握った藤原氏とその藤原氏と関係の有った天皇の正当性を示すために編纂されたということになりそうです。

その後、藤原氏は支持の表舞台から退くことになり、その結果『六国史』の後に、新たな史書は編纂されることは有りませんでした。

ということになれば、きれいに纏まるところなんですが、現実はそんなに甘く有りません。

日本三代実録』の関係者である藤原基経の後も、藤原氏、その中でも藤原北家が優位を保ち続けます。

そして、百年以上後の藤原道長の時代に最盛期を極めることになります。

あの、「この世をば」から始まる歌を詠んだ道長です。

藤原北家の時代が連綿と続いたのです。

では、なぜ『六国史』の後に「国史」は作られなかったのでしょうか。

律令制の時代だった

 天皇も、当然の事ですが、連綿と続いています。

すると残るのは、正当性を示すためという目的だけです。

正当性を示す必要性を無くすような状況が生じていたのでしょうか。

『六国紀』の編纂時期から、道長の時代も含め、当時の国家体制は律令制でした。

中国唐の制度を基に、天皇を中心とする官僚制度などの国家体制を構築したものです。

官職の独占

 その官僚制度ですが、貴族政治が進展していくにしたがって、特定の官職を特定の氏族が独占、世襲するようになります。

代表的なのが、ご存知藤原氏で、藤原北家が長らく権力を継承したことにより、摂政・関白は藤原北家が独占し、後に五摂家に分かれ、その権利を継いでいくことになります。

ちなみに、五摂家以外に唯一関白の地位に付いた例外が、あの豊臣家らしいです。

その他にも、安倍清明で有名な陰陽師のトップ陰陽頭には、安倍氏賀茂氏が就くといった具合です。

さて、そうなると、ある氏族に生まれたこと自体が就任の条件になる訳ですから、その正当性を示す必要性は全くない事になります。

さらに、その後の武家の時代は、「勝てば官軍」で、改めて正当性云々を主張する必要は無かったと考えられます。

という訳で、『六国史』以降に「正史」が作られることは無かったという事だと思います。


 いやぁ、『六国史』がらみは、藤原だらけですが、なかなか面白かったです。


ではでは