お金の始まりについて考えた話です。
お金は信用
お金、いわゆる貨幣は、よく考えると不思議なものですよね。
例えば一万円札は、極論を言えば、一万円と書かれた紙きれな訳です。
その紙切れが、一万円として使えるのは、受け取ってもらえるからです。
なぜ受けとるのかというと、また次に使うときにも、その相手が受け取ると思っているからです。
貨幣が貨幣となるのは、他の人も受け取ってくれると予想するから、だれもが受け取る、という自己循環論法です。
以上は、以前にTVで見た話の受け売りですが、受け取ってもらえるという信用が貨幣を貨幣ならしめているというのは、なるほどなと思わせられます。
となると、問題は、その信用は何処から来ているのか、初めに、どうしてそんなものを信用したのかという事になります。
貨幣の始まり
貨幣がどのように始まったのかについては、従来次のように考えられて来ました。
先ず、貨幣の無い時代には、いわゆる「物々交換」が行われていたと考えられます。
ただし、単純な「物々交換」では、いつもお互いに欲しいものを持っているとは限りません。
そこで、自分の持ち物を、米などの特定の物品に一度替えることに拠り、欲しいものが出て来た時に、それらを相手の持ち物と交換する「物品貨幣」というものが使われました。
この「物品貨幣」を、より保管、持ち運びに便利な、貝や金属にしたものが貨幣の始まりだというものです。
一瞬なるほどと思いますが、よく考えると、「物品貨幣」の替わりを、貝や金属とするときに、結局それが「物品貨幣」と交換されるという信用が必要になるので、そこのところは、何も解決していないことになります。
というような事を、時折思い出しては、考えていたんですが、面白そうな仮説を思いつきました。
権力と食料分配
以前の記事で、農耕生活の始まりと共に、権力が発生したのではないかという話を書きました。
その中で書いたように、貯蔵している食料の分配によって、生殺与奪を握ることが、権力の基だと考えた訳です。
権力の対象が村落程度の規模で有れば、誰に分配するのかは、考えるまでも無かったでしょう。
しかし、権力の及ぶ範囲が広くなるにつれ、構成員も増加することになり、分配する対象が自明ではなくなる時点が有ったはずです。
その時に、最も分かりやすいのは、全ての構成員に、身分を証明するものを持たせるという事でしょう。
それを持っているものに、食料を分配すればいい訳です。
更に、権力を含む社会構造が複雑になって来ると、各構成員に分配する食料に差が出て来ます。
江戸時代の、武士階級における石高のように、差が出て来るわけです。
これを、いちいち記録して、それと照らし合わせて、分配するという事では、ある時点で、その手間が現実的ではなくなると考えられます。
信じざるを得ない
それに対する、現実的な解決法の一つが、一定量の食料と交換できる貨幣的なもの(あくまで形状的にという意味で)では無かったかと思うのです。
それを、分配する食料の量に合わせて、配布することにすれば、分配の実務は、貨幣的なものと交換に、一定量を配布すればいい訳で、現実的に対応可能なものとなります。
これは、見方を変えると、意図することなく、結果として「食料本位制の貨幣」を生み出したと言えなくもありません。
という訳で、私の仮説は、貨幣に対する信用は、自然発生的に生じたわけでは無く、権力によって、信用せざるを得ない状況に置かれることに拠り発生したのではないかというものになります。
何しろ、貨幣的なものを否定してしまったら、食料が手に入らなくなる訳ですから。
もし、この仮説が正しいとするならば、お金にまつわる全ては、農耕を始めたために始まったという事になる訳ですが、どうなんですかね。
ではでは