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戦国時代は面白いが奇妙だ(前編)

戦国時代について考えてみた話(前編)です

 

 

コロナ禍のおかげで

 現在、今年の大河ドラマ麒麟がくる」の撮影が、コロナの影響で出来ないという事で、歴代の戦国時代を扱った大河ドラマの名場面が毎週見られるという事になっています。


麒麟がくるまでお持ちください」と、上手い事言っていたりします。


コロナ禍のおかげでというのはチョット不謹慎かもしれませんが、なかなか面白いです。


どうしても戦国時代のハイライトの一つなので、何度も本能寺が出て来るのはしょうがないんですけども、さすがに信長が不憫に思えてきました。

それにしても戦国時代

 それにしても、この戦国時代というのは、その登場人物のキャラが立って、話として面白いという事も有るんですが、それ以外にも気になるところが有るんですよね。

一般的に、戦国時代の始まりに関しては、次のように説明されているかと思います。

”世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って、守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。”

引用元:戦国時代 (日本) - Wikipedia

 

こういった現象を,武士階級の発生と発展という流れの中で説明するのが普通かと思います。

勿論そういった側面があった事は否めませんが、それにしても、あれほど、全国で同時にと言ってもいいほど、戦乱が広がったのは、チョット腑に落ちないんですよね。

何が腑に落ちないかを説明するために、先ず、武士階級の発生と発展を、簡単に振り返ってみたいと思います。

武士階級の発生と発展

 その出自に関しては、地方の領主層が武装化したものとか、清和源氏桓武平氏のような貴族層、下級官人層に求めるものとか、様々な見解が存在しています。

いずれにしても、歴史的には、桓武天皇が、律令制に基づいて置かれていた「軍団」を廃止したことにより生じた、武力の空白を埋める形で、検非違使のような令外官として表れてきたのが最初の例と言っていいかと思います。

その後、次第に存在感を増していき、太政大臣まで登りつめた、平清盛でいったんピークを向かえることになります。

その後、「驕れる者久しからず」で、源氏に追い落とされてしまいます。

その源氏を中心に、鎌倉幕府室町幕府と武士の時代が続くことになります。

ざっと、こんな感じかと思いますが、以上の事に共通している点が一つある事が分かります。

それは、全て、天皇を中心とする統治システムの中で起こったことだという事です。

武士階級と統治システム

 清盛は、太政大臣という、そのものズバリの地位になった訳ですし、その後の源氏の政権も、「幕府」であり、そのトップは「征夷大将軍」という、朝廷から任命される官職です。

一応政権を樹立はしても、夷を征する大将軍がトップという事からも分かるように、その権力は、武力的な面が強いものとなっていました。

鎌倉幕府からは、幕府側が「守護」を国単位で任命するようになりましたが、その仕事は専ら軍事・警察的な職務に限られていたことにも表われています。

経済的な面は、荘園公領制を基本としたシステムが続いていたという事になります。

守護の制度は、次の室町幕府にも引き継がれ、年貢の半分の
徴収が出来る半済の権利や、荘園領主らとの間の年貢納付の請け負い契約である守護請などを経て、守護大名化していくことになります。

このように、軍事、経済的な力を背景に国を治めるようになった訳ですが、それはあくまでも天皇を中心とする統治システムの中でのことであって、それを危うくするような形で他国に攻め入るための、インセンティブが有るようには思えないんですよね。

それでも、どこかの守護大名が、そういったふうに考えることが有るかもしれないですが、全国的にそれが波及するというのは、どうしても腑に落ちまん。


 しかし現実には、そういった事が起こった訳です、そこには、何か原因があった筈です。
そのあたりを、次回考えてみたいと思います。


ではでは