狗邪韓國と大八島についての話です。
巨済島は沙都島
狗邪韓國と大八島という事ですが、先ずは狗邪韓國から。
ここまでの記事で、狗邪韓国は倭の勢力圏の国で、現在の巨済島にあったのではないかという結論になりました。
ここで、次の図を見てもらいたいと思います。

見てもらえば分かりますが、沙都島(巨済島)とあります。
ルビは振られていませんが、「さと」と読めそうです。
『日本書紀』第17巻継体天皇に、即位9年(512年)に百済の使者の文貴將軍という人物が沙都島経由で帰国したという記述があります。
つまり6世紀前半には、狗邪韓國のあった巨済島は沙都島(さと島)と呼ばれていたようです。
大八島
次に大八島ですが、国生み神話に出てくる、イザナギとイザナミの2柱の神により、が生み出された日本を構成する8つの島を指します。
その「国生み」の神話ですが、その内容は『古事記』と『日本書紀』で少し異なります。
さらに『日本書紀』の中では、いわゆる「一書」の形でいくつかの異なる話が出て来ますが、ここでは最もポピュラーと思われる『古事記』のもので考えたいと思います。
『古事記』の話では、大八島は、淡路、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州の順に作られたという事になっています
「国生み」神話で気になるところ
大八島のメンバーを見ると、明らかに西日本に偏っているように見えます。
その中で、どうも佐渡だけは、異質な感じがするのです。
本州が有るじゃないかと言われそうですが、これも原文に本州と書いてあるわけでは無く、大倭豐秋津島(おおやまととよあきつしま)とあるのを、本州だと解釈しているもので、山口から近畿までの部分を指していると考える方が、残りの場所と比べると、しっくりくると思うのです。
「国生み」神話は、壱岐、対馬というところが含まれていることからも、元々九州で形作られた西日本を対象とした原型の神話が、大和政権が畿内を中心に成立する過程で、次第に東の部分も含まれる形に変化していったものだと思います。
その中で、大倭豐秋津島を畿内以東も含めた本州だとしたのだとしても、やはり佐渡が気になります。
東に広げるにしても、佐渡をわざわざ入れる理由がよく分かりません。
佐渡は沙都島
ここまで来れば、何を言わんとしているかもうお分かりでしょう。
この佐渡は、もともと沙都島だったのではないでしょうか。
「国生み」神話の原型が作られたときには、沙都島すなわち狗邪韓國が、倭の勢力範囲の北限であり、大八島にも含まれていたのです。
そして、日本書記が編纂された8世紀には、半島を統一した新羅の領土になっていたことから、読みの近い佐渡に入れ替えたのではないでしょうか。
「国生み」神話は、元々の倭人の勢力範囲がどのように作られたのかを説明した神話だったのです。
そろそろ、狗邪韓國から出発したいと思います。
ではでは