邪馬台国の場所について別角度から考えた話です。
『魏志倭人伝』では確定できなかった
前回まで、『魏志倭人伝』の記述されている旅程と関連事項に従って邪馬台国までの道程について考えて来ましたが、その場所を確定するまでには至りませんでした。
そこで今回は、別角度から邪馬台国の場所を考えて見ます。
本ブログでは、邪馬台国が東遷して畿内大和政権になったと考えています。
それを前提に、大和政権側の手がかりと思われる出来事から、大本の邪馬台国に迫れないかというわけです。
その出来事とは、道鏡事件です。
道鏡事件とは
先ず、道鏡事件について、極簡単に説明すると。
奈良時代、8世紀後半に、道鏡とういう僧侶が、時の孝謙上皇の病気を治したことをきっかけに、上皇の寵愛を受け、出世します。
宇佐八幡宮の神託により、天皇になりかけますが、同宮の再度の神託で阻まれた、という事件です。
道鏡事件の気になる点は
この話の中で、最も気になる点は、なぜ、一介の僧侶が天皇になるかどうかの重大事に関して、宇佐八幡宮の神託が、重要な役割を果たしたのかという事です。
宇佐八幡宮は、現在の大分県宇佐市に有る神社です。
なぜ、遠く九州に有る神社の神託が、と思う訳です。
もっと近くに、それこそ伊勢神宮とかあるにもかかわらずにです。
実際、再度の神託のために、派遣を命じられた人物が長旅に耐えられぬからと、その弟を替わりに派遣した、といった事も有ったくらいです。
天皇、皇后が祀られているから?
宇佐八幡宮には、次の三神が祀られています。
一之御殿:応神天皇 (おうじんてんのう)
二之御殿:比売大神 (ひめのおおかみ)
三之御殿:神功皇后 (じんぐうこうごう)
これを見ると、応神天皇または神功皇后の神託だから、とも思われます。
しかし、大和政権には他にも初代神武を始めとする、多くの偉大な祖先神がいるはずです。
それを差し置いて、この二人の神託というのは、今一つ腑に落ちません。
比売大神
残る比売大神は、現在、宗像三女神とされていますが、その正体についてはよく分かっておらず、祀られている地域によっても違いがあるようです。
この比売大神が、卑弥呼だとすればどうでしょう。
全ての始まりともいえる女王が、約500年の間に、比売大神として神になったという事であれば、その神託に天皇即位を決めるほどの影響力があっても可笑しくはないでしょう。
宇佐八幡宮の主神は応神天皇ですが、本殿で主神の位置である中央に配置されているのは比売大神であり、なぜそうなっているのかは謎とされているようです。
これは、応神天皇と神功皇后を合祀する際に、表向き大和政権とは関係の無い比売大神を主神とするわけにはいかず、実質的な主神という事にしたのではないでしょうか。
そういったことを大和政権内の人々は知っていたからこそ、其の神託に影響力があったのです。
宇佐八幡宮は古墳
さらに宇佐八幡宮の本殿は小高い亀山山頂にあるのですが、この亀山の山頂部分が古墳だと言われているようです。
これが卑弥呼の墓だと考えれば、その神格化した比売大神が祀られる宇佐八幡宮に、応神天皇、神功皇后を合祀しても可笑しくはないことになります。
宇佐八幡宮が卑弥呼の墓という事であれば、それが見下ろす宇佐に邪馬台国があったことになります。
という事で次は、邪馬台国候補地としての宇佐について考えていきます。
ではでは