前回に続いて、AIについて考えた話です。
AIと言うから
前回は、所謂「生成AI」についての話でした。
最近の「生成AI」に対する、個人的には意外な、安全性への懸念と規制に関する世界的な動きの理由についてでした。
一つには、その内部がブラックボックスで分からないことからくる不安感。
もう一つは、AIすなわち人工知能という名称から来る、人間に歯向かうのではないかとう、印象の悪さ。
こういったことが、その背景にあるのではないかというものでした。
AIと言うのは
そもそも、現時点で「AI」と呼ばれているものは、「人工知能」と呼んでいいのか疑問なものなのです。
その基本的な部分だけを説明すると、ある入力から、目的とする「答え」を出力するだけのものなのです。
ただ、「答え」を出力する手順が最初から決まっていないという点が、普通のプログラムとは違います。
入力に対して計算を行い、その結果を求めたい「答え」と比べます。
その差に基づいて、計算に使うパラメーターを変化させます。
その上で、そのほかの入力に対して同じことを繰り返します。
この時、計算とパラメーターの数を増やすことにより、様々な入力と答えに対応することが出来るようになるのです。
それが、コンピューターの機能向上によって、最近になり現実的な性能を持つようになってきたわけです。
AIと言っても
ということなので、出来上がった「AI」の内部にあるパラメーターの意味については、作成者にとってもブラックボックスということになります。
しかし、だからと言って不安になることはありません。
なぜなら、上の説明からも明らかなように、最初から「AI」の出力する最終的な「答え」は決まっているのです。
例えば「生成AI」においては、文章、絵、音楽といったものですし、将棋AIでは、相手の王を詰ますために次に動かす指し手です。
最初から「答え」が必要である以上、人間に敵対するといった話以前の段階のものでしかあり得ません。
答えを考えるのが人間
ここまで見てきたように、現状の「AI」には、何は無くても先ず最初に「答え」が必要なのです。
それを考えることが出来るのは今のところ、我々人間だけです。
「答え」も考えることが出来るようになった時こそが、本当の意味で「人工知能」と言えるのでしょう。
それまでは、我々人間は「答え」の部分を考え、入力から「答え」までの部分は所謂「AI」に任せて、楽をすればいいのです。
とは言っても、悪用する人間はどこにでもいるものですが、それは「AI」に限らない話でしょう。
ではでは