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時間だけはある退職者が、ボケ対策にブログをやっています。

囲碁・将棋の文法

囲碁・将棋の文法に関して考えた話です。

 

 

前回の言い訳

 前回の記事は、囲碁・将棋のプロは、言葉のネイティブのようなもので、母国語を操るように囲碁・将棋を行う事が出来るのではという話でした。

 

yokositu.hatenablog.com

 

そのため我々が、有るシチュエーションにおける日本語について、正しいかどうかは分かるが、どうして正しいのかを説明出来ないように、彼らプロの人たちも、正しい打ち方は分かるが、どうして正しいのか言い難く、言語化が進んでいないのではないかと考えました。

そのため、習得することが難しいのではないかという、なかなか上達しない言い訳の話でした。

記事を書いた後も、色々と考えが広がったので、今回も引き続き言い訳じ付き合っていただこうという話になります。

囲碁・将棋には文法が無い

 上にも書いたように、一般にネイティブの人は、自分の喋っている言葉がどうしてそうなるのかを、普通はそうだからそうだという程度にしか説明出来ません。

しかし、一般にと書いたように、説明出来る場合もあります。

それは、文法を知っている場合です。

文法を知っていれば、それに従ってある程度一貫性を持った説明が可能となります。

では、囲碁・将棋に関してはどうでしょうか。

そういった、全体を通して一貫して説明出来るような、文法に相当するものはないようです。

勿論、局所的な状況を説明するものは有ります。

将棋では、戦法、定跡、囲い、詰将棋といったように。

また、囲碁でも、布石、定石、手筋、詰碁などが有ります。

しかし、これらの用語はそれぞれ、特定の状況を説明するに留まっているのです。

残念ながら、これらを包括した上で一貫して説明するものは無いのです。

言語との違いは何処から来たのでしょうか。

言語との違い

 バベルの塔が神の怒りに触れて以降、世界では様々な異なった言語が使われることになりました。

そのため、古来他の言語を話す人々と交流するためには、その言語を学ぶ必要があった訳です。

学習を容易にするために、言語に対する研究が進んできたという側面が強いと考えられます。

その成果の一つが文法といえるでしょう。

それに対して将棋・囲碁に関しては、チェスや象棋(中国将棋)等の似たゲームがある事はありますが、それを習得しなければならない積極的な必要性は低いと言わざるを得ません。

また、将棋・囲碁そのものについても、絶対に出来なければ困るといったものでないことも確かです。

その上で、生活する上で必要としているともいえるプロの人たちは、幼いころから親しんだネイティブな訳ですから、文法に相当するものを作り出す必要がなかったという事になるでしょうか。

そんな中で、各種の用語とその考え方は、私たち非ネイティブに教える為に、それぞれの局所的な状況に合わせて生み出されたものだったのでしょう。

ソフト化がチャンスだったが

 こう考えると、コンピューターソフトを作る時が、文法作成の一つのチャンスだったような気がします。

ソフト化するためには、その対象がどういったものか、言葉なり数式なりで表現できなければならない訳です。

という事は、文法に相当するものを考える必要性が出て来たという事になります。

ところが残念ながら、コンピューターソフトは、人間が考えたアルゴリズムではなく、ニューラルネットワークを使った自己学習によって、トッププロを超えるレベルになってしまいました。

そのため、ある局面での打つ手をどうやって導き出しているのかは、作成した人にも分からないという状況になっています。

コンピューターソフトもネイティブになってしまったと言えるのかもしれません。

そのうち、本当に人間を超えるような知能を持った時には、説明してくれるかもしれません。


 文法がどうのこうのと言わずに、先ずは詰将棋や詰碁なんかを数こなすのが先決なんでしょうけどね。


ではでは