現代は生きにくいという点について考えた話です。
農耕文明
紀元前何千年かの時点で、世界のどこかで農耕が始まって以来、現代にいたるまで我々は農耕文明の中で生きています。
どんなに都市が発達し、グローバリゼーションが進み、IT化が深化し、AIが賢くなっても、農業生産が止まれば現代社会は崩壊します。
もともと狩猟採集で生活していたご先祖様達が、環境変化などにより生活が難しくなり、生きていくために生み出したのが農耕だと考えられます。
その結果生き残ってきた人たちの子孫が我々です。
動物も生きている
人間以外の動物で考えてみましょう。
人間が農耕を始めてから今日に至るまで、動物も当然のように、生き残ってきました。
本能や、親のやり方を学習して、当たり前のように生きていきます。
その時々の環境に適応して来たといえるでしょう。
当たり前のようですが、考えてみるとすごいことです。
動物以下なのでは
動物は進化することにより、環境に適応することで生き残ってきました。
それに対して、我々人間は知恵によって、環境に働きかけることで生き残ってきたと言えるでしょう。
農耕を生み出したところまでは、それによって生き残ってきたのですから、上手くいったといって良いでしょう。
それにしては現代の我々が、単に生きることが難しいと思うことが少なからず有るのはなぜなのでしょう。
基本的な生活をするのに苦労しなければいけない状況にある人が、少なからずいるのはなぜでしょう。
農耕文明なのですから、基本的には食べていくことが出来なければおかしいのです。
これでは、ただ単に生きるという基本的な点において、下手をしたら動物以下だと言えないでしょうか。
せっかく知恵があるのだから
この生きることが難しいと考える背景について考えると、現代の多くの仕事が、直接生きていくということに直結していないことによるのではないかと思うのです。
現代は貨幣経済の社会であり、すべての仕事は、貨幣というものを通じて、生きてくために必要なものと結びついています。
これがすべての原因といってもいいかもしれません。
どんな仕事をするにしても、常にその背後には、仕事をするだけでは生活出来なくなるかもしれないという恐れがあるのです。
そのために手段であるはずの貨幣が、目的となりがちということが起きます。
生きることとそれ以外を分離する方法を真剣に考えるべきでしょう。
以前書いた内容の焼き直しのような記事になってしまいました。その上、相変わらず、分離する方法については暗中模索という。
ではでは