一万年前の争いについて考えた話です。
前回の話
前回の話では、我々人類の攻撃性について考えました。
戦争だらけの歴史などから攻撃的だと考えられている我々人類ですが、本質的にはその他の動物と変わりは無く、単に争う場面で道具を使う点が異なるだけではないかという話でした。
その道具の攻撃力が高いのであって、人類が特別攻撃的なわけでは無いという訳です。
その中で、人類が殺し合った最古の記録についても触れました。
今回は、その最古の記録について考えてみます。
最古の記録
前回も書きましたが、最古の記録と考えられているのは、ケニアで発掘された約一万年前の27人の遺骨です。
これらの遺骨は、石の武器が食い込んでいる骨や、鈍器で殴られ、粉砕された頭蓋骨などから、暴力により虐殺されたものと考えられているようです。
これを戦争の起源とする説もあるようです。
確かに、27人中6人が子供らしいことをみても、メスを巡ってオスが争うとか、縄張りを巡って争うとかいった動物と同じ争いのレベルではないように思えます。
本ブログでは、農耕と定住により権力が発生し、それによって戦争が始まったのではないかと考えています。
ところが一万年前には、まだ本格的な農耕は始まっていません。
にもかかわらず、これ程の争いが起こっていたのです。
やはり、我々は攻撃的なのでしょうか。
一万年前
ここで、事件が起こった一万年前という時代について見てみます。
引用元:最終氷期/ヤンガードリアス期/完新世 - 歴史の世界を綴る
図からも分かるように、一万年前は、最後の氷河期が約一万八千年前に終わった後の氷期末亜間氷期の温暖な期間後の、ヤンガードリアス期と呼ばれている急激な寒冷化の時期でした。
これが原因ではないでしょうか。
氷河期後の氷期末亜間氷期の温暖な気候の下で、人類の活動が活発になり、人口も増えたと考えられます。
そこにやって来たのが、ヤンガードリアス期の急激な寒冷化です。
研究によれば、100年間で平均6℃程度という急激な変化だったようです。
最近では、この時期にも恐竜を絶滅させたものほどではないが、隕石の衝突があった事が明らかになり、それにより急激な寒冷化が発生したという説が有力となっています。
この急激な寒冷化により、狩猟採集を基盤とした生活は危機に瀕したと考えられます。
それは、直前の温暖化により増加した人口を支えることは出来ませんでした。
その結果が、他のグループを排除するような争いを引き起こしたのではないでしょうか。
道具によって、結果が過激なものになったのです。
太陽活動では無いですが、やはり気候の影響でした。
ではでは