横から失礼します

時間だけはある退職者が、ボケ対策にブログをやっています。

将棋・囲碁とAI

将棋・囲碁とAIについて考えた話です。

 

 

結局観るだけ

 将棋と囲碁については、ほとんど素人なのを良い事に、いくつかの記事を書いて来ました。

振り返ってみると、見当違いの話も少なからず有り、誠に汗顔の至りです。

その後どちらも少しばかり齧って、理屈をこねてはみたものの、どうやらどちらも才能やセンスといったものはない事が分かっただけだったりします。

結局、将棋も囲碁もTVやネットで対戦を見るというところに落ち着いています。

将棋については、基本的な戦法や囲い、手筋については見れば分かるという状態にはなったので、それなりに楽しめるようになりました。

それに対して囲碁に関しては、相変わらずよく分からないままで、将棋程の回数は観ていません。

多少、布石や定石を齧っても、やはりプロの対戦を観るとよく分からない事の方が多いというか、ほとんど分からなかったりします。

囲碁については、それなりに打てるようにならないと、人の対戦をみても面白くないという事なのだと思います。

この辺りが、将棋の「観る将」という呼称があっても、囲碁に「観る碁」等の呼び方がないことの理由なのでしょうか。

そんな、グダグダな観るだけなんですが、それなりに観ているうちにAIとの関係性のようなものが見えた気がするので、今日はその話です。

AIの導入

 ご存知のように、しばらく前から将棋も囲碁も、プロよりもAIの方が強いという状況になっています。

プロでもAIを導入している人が多いようです。

そのため、最近の囲碁も将棋も、いかにAIの打ち方を研究しているかの競争になっている節が有るような気がするのです。

まあ、現実問題としてAIの方が強いわけですから、勝たなければならないプロとしてはしょうがないのかもしれないですが。

その結果、どうもプロが優等生ばかりになりそうで、どうなのかなと思うのです。

結局、AIの打ち方、指し方をよく研究した人が勝つと言う事になっている訳です。

AIが教科書のような役割を果たしていると言えます。

研究ではなくお勉強

 これでは、囲碁や将棋の研究をしているのではなく、お勉強をしていると言えないでしょうか。

各タイトルの挑戦者を決めるリーグ戦などは、大学入試のセンター試験に相当するとも言えるかもしれません。

教科書の事をよく勉強をした人が勝ち上がるという訳です。

そうなると各タイトル戦は、各大学の2次試験という事になるでしょうか。

あくまでも、お勉強が一番出来る人という事になりそうです。

それも面白くないことは無いのですが、お勉強ではなく研究の成果もみてみたい気がするのです。

それが、AIを超える考え方なのか、全く違う方向からのアプローチによるものなのかは分かりませんが。


 才能の無い部外者が、好き勝手に言いたい放題の回でした。


ではでは