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徐福伝説

 徐福伝説について考えた話です。

 

 

徐福伝説

 徐福伝説と言うものが有ります。

徐福と言う人物が、秦の始皇帝の命を受けて、中国の東方の海に不老不死の薬を探すために出かけたが、結局戻ることは無かったと言う話が、「史記」に書かれているのです。

驚くべきは、3000人の童男童女と百工(技術者)が同道したというのです。

それに符合するかのように、日本の各地に、辿り着いた徐福が住み着き、様々な技術などをもたらしたとする伝承が残っています。

私が知っているだけでも、和歌山県新宮市、熊野、佐賀県佐賀市京都府伊根町に有ります。
その他にも、数十か所の伝承地が有るようです。

徐福が、五穀も持って行ったと言う話が有るので、その時期も含めて、農耕を伝えたのは徐福ではないかという説もあるようです。

どうなんでしょうか。

徐福は実在

 話の出所が「史記」ではあるものの、徐福にまつわる話については、中国でも疑う向きも多かったようです。

そんな中、1982年になって、江蘇省の徐阜村という村が、清朝のころまで「徐福村」と呼ばれていたことが発見されました。
徐阜村には、徐福に関する伝承も残っているようです。

さらに、徐福を先祖とする徐一族の存在も確認されました。

このようなことを背景に、最近では、徐福は実在したとみなされているようです。

勿論、反論も有るようですが。

徐福は日本に来たのか

 日本各地に有る伝承について考えてみましょう。

いずれも、徐福が辿り着いて、住み着いて云々という内容が、昔から伝承されてきた事になっている訳です。
そうだとすると、おかしなことになると思うんですよね。

徐福は、始皇帝に命じられて、やって来たわけですから、秦の時代の人な訳です。
そうすると、紀元前3世紀頃という事になります。

このころ日本は弥生時代であり、明らかに、文字と言うものは有りませんでした。
よって、徐福に関する伝承は、有ったとすれば、口伝だったはずです。

であるならば、「じょふく」という名前が出て来るのは、おかしいのではないでしょうか。

「じょふく」といのは、徐福と言う文字を日本語で読んだもののはずですから、それが、文字の無かった弥生時代からあった訳は無いのです。
ちなみに、徐福を、Google翻訳で発音させると「しーふー」のように聞こえます。
徐福本人が、自己紹介するときに、私は「じょふく」ですと言う事は無かったはずです。

「しーふー」がやって来たというような伝承が有るならばともかく、「じょふく」がやって来たというのはあり得ない訳です。

 徐福が日本に来たのかどうかについては、正確には確認のしようが無いのですが、伝承としてはそのものずばりというものは無かったのだと思います。

大陸から辿り着いた人間がいたといった伝承が有ったところに、
史記」が日本に入って来てから、徐福に関する記述を見て、それを当てはめたという事ではないでしょうか。


 まあそれ以前に、弥生時代に、秦の時代の知識を持った人間が、3000人も来ていたのなら、もうチョット違う歴史が有ったんじゃないかと言うのも有るんですけどね。
少なくとも、文字ぐらいは有ってもよさそうですよね。


 ではでは