『吾妻鏡』における源氏三代の扱いについて考えた話です
「鎌倉殿の13人」には「元寇」は出てこない
前回までの2回の記事で、「元寇」とその後の状況と『吾妻鏡』編纂の関係を考えて来ました。
ところで、今年の大河ドラマの「鎌倉殿の13人」は、第2代執権の北条義時が主人公で、鎌倉幕府の最初の頃の話になっています。
「元寇」とその後は出てこないようです。
それに合わせて、「鎌倉殿の13人」の頃の話が『吾妻鏡』でどう扱われているかを考えて見ようと思います。
傀儡の将軍と北条氏の実権
前回までの記事では、『吾妻鏡』を、「元寇」以降に御家人の間に生じた不満に対して、北条氏の権力の正当性を示すために作られたと考えたわけです。
3代源実朝までで頼朝の血筋が絶えた後は、京都から将軍を迎え傀儡化し、実権を北条氏が握ったために、幕府の歴史イコール北条氏の権力のありかを示すことになったという事でした。
こうなると、頼朝の血筋が絶えて北条氏が実権を握ったも経緯も、正当化する必要が出て来ます。
源氏三代の扱い
『吾妻鏡』で源氏三代がどう扱われているか見て見ましょう。
まず、鎌倉幕府を開いた初代源頼朝は、当然それなりの人物として描かれます。
次に、その頼朝が急死した後を継ぐことになった長男の二代頼家は、遊興特に蹴鞠にふける暗君として描かれます。
その挙句、側近と北条氏討伐の謀議をしたのが、母政子に盗み聴かれて露見し、自らの長男と側近を北条氏に討たれた上に、修善寺に幽閉されてしまいます。
最後は、その翌年に死んだ連絡がもたらされたと『吾妻鏡』には記されているのみですが、『愚管抄』には北条氏の手兵により殺されたと書かれているようです。
頼家の弟の三代実朝は、歌の話が多く文人肌の人物として描かれています。
その一方で、朝廷による官位の昇進の話が多くあります。
朝廷との関係を心配して諫言するものもいたが、取り合わないといった話も出て来ます。
最後は、昇進を祝うために行った鶴岡八幡宮で、頼家の次男により暗殺されてしまいます。
こうして見ると、頼朝の血筋は、滅ぶべくして滅んだと言わんばかりの書き方になっています。
その後の北条氏
その後、朝廷から将軍を招くことになるのですが、将軍としてやって来たのは僅か2歳の子どもでした。
そのため、政子が後見となり(尼将軍)、執権の北条氏が実権を握ることになります。
更に、後に後鳥羽上皇が挙兵をして幕府と対立します(承久の変)。
これに対して、執権北条氏を中心として京に進軍して勝利し、上皇を隠岐に流すという、前代未聞の形で収めました。
こうして、北条氏の実権はゆるぎないものになることになります。
見知ったパターン
以上の話は、このブログでも何度も出て来た、習い知ったあのパターンそのものですよね。
当代の権力者の正当性を示すために、前代のひどさを強調した上で、その後を継いだものの徳を際立たせるというあれです。
従って、頼家、実朝の事績に関しては多分に、ミスリードしている部分が有ると考えるべきなのでしょう。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、頼家、実朝をどういう人物として扱っているのか、見て見るのも面白いかもしれません。
ではでは