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日本の時代区分

日本の時代区分について考えた話です

 

 

日本の時代区分

 日本の時代区分というと、一般的には、奈良時代平安時代鎌倉時代などと、大まかに言って、その当時の政治的な中心のようなものがあった地域を名称として使っているという事になります。

その付け方に、何らかの明確な基準は有りません。

そのため、室町時代は、平安時代と同じ京都(平安京)に有ったので、足利義満の花の御所が有った地名を名称とするという、いささか苦しいことになっていたりします。

権力との関係が見えにくい

 また、それぞれの時代で、権力がどうなっていたのかという事と一致していなかったりしてややこしいです。

例えば、平安時代末期には、平氏の政権が出来るのですが、全く時代区分とは関係が有りません。

次の源氏の政権と比べて、いささか不公平じゃないですか。

平氏は幕府を作らなかったからだという見方もあるかもしれませんが、後の豊臣秀吉は、幕府を開かず、関白になったのですが、信長とまとめて安土桃山時代と呼ばれていますしね。

学術的区分

 一方、学術的には、古代、中世、近世、近代、現代という区分が使われているようです。

この区分の基準は何かと思って調べてみても、いまひとつ良く分からないのです。

例えば、中世はざっくり言うと、荘園が有った時代という事のようですし、近世は、秀吉の太閤検地により始まり、近代は、幕末から明治維新に始まると言ったように、明確な基準は無いように見えます。

因みに、近代の終わりは、先の敗戦という事のようです。

どうも、明治以降に輸入された西洋史での時代区分に、少なからず影響を受けたという背景も有るようです。

中国は明解

 ひるがえって、お隣中国を見てみると、その基準は明確で、各王朝の建てた国の名称が、時代区分となっています。

隋、唐、宋、元、明、清といった具合です。

これは、このブログでも何度か出て来たように、天帝による易姓革命という考えが背景に有るという事になります。

天命から次の天命までが一つの時代という訳です。

そういった考えがなく、一系の天皇が続く日本では、当然そんな基準は成り立たないという事なります。

氏族名を使って

 中国の王朝交代に代わるものとして、わが国では、権力を取った氏族の名前を使うというのはどうでしょうか。

藤原時代、平(たいら)時代、源(みなもと)時代、北条時代、足利時代・・・という感じにするのです。

こうする事により、後は、これらの氏族がどのような背景で権力を行使し、または衰退したのかという観点で考えていくことにより、ストーリーとして理解し易い気がするのですが。

勿論、全てこれで行くことは出来なくて、例えば戦国時代はそのまま使う事になりそうですし(中国にも戦国時代は有りますしね)、藤原時代以前は、どう考えるかといった点も有りそうです。

明治以降も、特定の氏族が権力を持っていた訳ではないので、どうするかは難しいところです。

少なくとも奈良時代から江戸時代まではカバー出来そうです。

 


 奈良時代から江戸時代終わりまでで約1200年弱なんですが、今回の時代区分だと、そのうち最初の約400年は藤原時代になります。
藤原氏恐るべしですね。

 


ではでは