横から失礼します

時間だけはある退職者が、ボケ対策にブログをやっています。

田中九段の見ている将棋

田中九段の見方から将棋について考えた話です。

 

 

関連情報が現れる

 ブログに、何かのテーマで記事を書いていると、不思議とそれに関連する情報が、TVや新聞を始めとして、身の回りに集まってくるように思える時というのが有ります。

まあ実際には、記事を書くことによりそちらに意識が向かうので、最初から存在していた情報が目に付くようになる、といった理由だとは思うのですが、結構驚くことが多いです。

今回もそんな感じの話です。

録画バックログの消化

 録画したTV番組の大量のバックログをせっせと消化していたのですが、その中にNHKーBSPの「ヒューマニエンス40億年のたくらみ」という番組の「”天才”ひらめきのミステリー」という回がありました。

天才のひらめきを、脳科学も絡めて考えてみようといった内容の番組です。

番組自体も面白い内容で、考えさせられるところは有ったのですが、そのあたりは、何れ記事にするかもしれませんが、ここで話題にするのは、ゲストの話に関してになります。

ゲストは将棋のプロ

 ゲストとして呼ばれていたのは、プロの将棋棋士田中寅彦九段でした。

藤井壮太3冠の神の一手に見られるような、コンピューターの計算力をも超えているように見えるプロ棋士の考え方と、天才のひらめきに関連性が有るよ、という事なのかなと思って見始めました。

番組が進み、田中九段はこう言ったのです。

「アマチュアの方は算数をやっているような感じ、プロは音楽か芸術をやっているような感じ。」

更に、指し手の読み方について、こう続けました。

「絵画を見ているような感じで、そこに行き着くんです。」

将棋も芸術か

 これには、かなり驚きました。

以前の記事で、囲碁が芸術の一種である事が、囲碁の分かりにくい理由では無いかといった話を書きました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

それに対して、将棋に関しては、そういった要素は少ないと思っているのですが。

将棋では、駒に種類が有って、各駒の働きも決まっています。
更に、開始時点の駒の配置も固定ですし、目的も相手玉を取るというように明確です。

これは、普通に考えれば、最初から最後まで理詰めで行けると思うじゃないですか。

算数をやって行く

 田中九段に言わせると、まんまと私も算数をやっているという事のようです。

プロ棋士、しかも九段にこういわれては、身も蓋もありません。

それでも、囲碁でも考えたように、理屈でゴールに至る道も有ると考える事にします。

算数もコンピュータ並みになれば話は別、ということもあるでしょうから。
(コンピューター並みには、とてもじゃないが出来ないというのもまた事実だったりしますが)


 SF作家のアーサー・C・クラークの言葉に「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない」というのが有りますが、それをパクらせてもらうと、「充分に発達した理屈は、芸術と見分けが付かない」といったところでしょうか。(なんの根拠も有りませんが)


ではでは