ど素人が囲碁について考えた話(琴棋書画編)です
身勝手な考え
前回の話は、ど素人が、囲碁の教え方について、もうチョット言語化して、分かり易く言うとかみ砕いて、教えてくれても良いんじゃないかと、身勝手な話をするというものでした。
しかし、どうやらそれは、全くの見当違いだったかもしれない、というのが今回の記事のポイントになります。
面白い記事
身勝手な思いと共に色々なサイトを渡り歩いていたところ、面白い記事に行き当たりました。
チョット長くなりますが、引用します。
囲碁AIがアートな理由
思えば、私が囲碁はアートだと再認識したきっかけは、囲碁AIでした。これまでの囲碁AIは、どちらが勝っているかをゲームの途中で判断するのが難しいために、なかなか強くなりませんでしたが、ディープラーニングを導入したことで、この課題を解決するに至りました。
ディープラーニングが得意なのは「画像を認識する」というもの。囲碁の場合も例外でなく、棋譜をまるでQRコードのように、そして大量(アルファ碁の場合は数千万局)に学習し、局面の特徴を捉えられるようになりました。それにより、ゲームの途中でもどちらが勝っているかを判断できるようになったのです。ほかの分野でも、絵がかけたり作曲ができたり……人間の特権だと思っていた感覚的でアートなジャンルがディープラーニングは得意です。
引用元:| 日興フロッギー
琴棋書画
引用元の記事でも触れられていますが、古来「琴棋書画(きんきしょが)」という言い方が有ります。
それぞれ「琴=音楽」「棋=囲碁」「書=書芸」「画=絵画」を示しています。
文人が嗜むべき4つのものを表しており、四芸とも言われています。
昔から言葉としては知っていましたが、四芸については、文人も学問だけでなく、色々出来た方がいいよぐらいに考えていました。
ところが、上の引用を踏まえると、四芸は、四つの芸術という意味をもっていることになりそうです。
そうなのです、囲碁も芸術という事になります。
そう考えれば、様々なことが腑に落ちそうです。
芸術であれば
芸術という事であれば、ゴールの形が明示されていないのは当たり前という事になります。
芸術作品を生み出すという目的は有っても、では何が芸術かと言われれば、明確にこれだというものを明示するのは難しいという訳です。
詰碁や手筋といったものについても、例えば絵画で考えてみると、デッサン、絵の具の使い方、筆遣いといった個別のテクニックに対応すると考える事が出来そうです。
それら、個別のテクニックについては、具体的に説明出来ても、それらを使う事と、どういう絵を書くのかは別の事なのは明らかです。
しかも、その結果としての絵については、説明出来そうで、出来なかったりします。
棋譜並べについても、同様に考えると、絵画における模写に相当するという事になるでしょうか。
怠ったのではなく出来なかった
囲碁についても、各々の人が、こういうものだと分かっていても、それを言語化出来なかったのでは無いでしょうか。
大上段に振りかぶった言い方をすれば、言葉にしにくいものを表現するのが芸術という事です。
先達たちが言語化を怠っていたのではなく、囲碁も他の芸術のように、いわく言い難いものであったのです。
ということは、何をどう作るのかを決めるのは、自分だという事になりそうです。
理屈先行型の芸術オンチの私としては、困った結論になりましたが、爆発する琴棋書画と共に、次回に続きます。
ではでは