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続々中国大返し

中国大返し」について考えてみた話(続続編)です

 

 

NHK BSの番組

 前回、前々回と「中国大返し」について書いてきましたが、その発端とも言える、NHK BSの番組(「英雄たちの選択」)の内容にも触れておきたいと思います。

その番組の内容も、基本的には、「中国大返し」を奇跡的な出来事と呼ぶのはどうか、という論調のものでした。

具体的には、兵庫城発掘調査の結果などから、秀吉が信長を援軍として迎えるにあたり、各所に休息・宿泊できるように、御座所を整備して兵糧も蓄えていたと推測し、それが中国大返しの時に役に立ったという事を根拠としていました。

正直、その事だけで、そこまで言うのはどうかと思いました。

勿論、発掘調査の結果を否定する気は毛頭ありませんし、秀吉が信長のために御座所のような施設を作っていたとしても不思議は無いと思います。

更に、それらの施設が、「中国大返し」の際に役に立ったという事も有ったとは思います。

食料問題

 そもそも、このような話が出て来る背景には、「中国大返し」を奇跡的な出来事と考える時に、その行軍中の食事の面からも、そう考えられるのではないかという観点が有ります。

2万にも及ぶ人間が、迅速に移動するのに対して、食事の準備はどうしたのかという訳です。

中には、一人当たりの行軍に必要なカロリー数と軍勢の規模を二万と考えて、一日当たりおにぎり換算で約40万個、重量にして約40トン必要とし、その調達自体も容易でないと考えたという研究も有ります。

確かに、計算上はそうなるのかもしれませんが、これは「中国大返し」を、単独の出来事として考えた場合にはそうなるという事でしょう。

大返しの前も戦っていた

中国大返し」という事を行ったのが、約二万とも言われる秀吉の軍勢で有ったのは確かな事です。

しかし、その二万の人間は、「中国大返し」を行う時だけ忽然と現れた訳ではありません。

当然の事ですが、秀吉の軍勢は、「中国大返し」を行う直前は、毛利方の備中高松城を攻めていた訳です。

その戦いは、勿論日帰りや一泊二日で終わる訳では無く、3月に姫路城を立って以来、大返しを開始する時点で、すでに約3ヶ月が経過していました。

その間、飲まず食わずで戦う訳は無く、先の説のように、一日40万個のおにぎりかどうかはともかく、それなりに食料は必要だったはずです。

兵站は常に重要

 古今東西、戦いにおいて、兵站の重要性は言われているところです。

それは、秀吉の軍においても同様であったはずです。

当然、東の方面から、備中高松に向けて兵站線が伸びていたはずで、必要に応じて、食料を運び込んでいたはずです。

そうでなければ、3か月に渡って、城攻めを続ける事が出来るわけが有りません。

結局、中国大返し」においては、その高松城攻めのための兵站線を逆に辿ることで、食料を確保しつつ東に進んだのだと思われます。

その兵站線の中に、兵庫城のような信長の御座所としての機能を持ったところも有ったという事なのでは無いでしょうか。


 3回に渡って見て来た「中国大返し」ですが、決定的な時に絶妙なところにいた秀吉は、やはり持っている人だったという事になるのでしょうか。


ではでは

 

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