プロについて考えてみた話です。
プロとプロフェッショナル
プロについて考えるにあたり、先ずプロフェッショナルとプロについて考えてみます。
プロフェッショナルを略したのが、プロじゃないかという話も正しいのですが、それだけでもないように思うのです。
NHKのドキュメンタリー番組に「プロフェッショナル仕事の流儀」というものが有ります。
今調べてみたら、2006年の開始以来、450回以上放送されているようです。
という事は、対象となった人、つまりプロフェッショナルもその位の人数になる訳です。
先日、その放送を見ていて、改めて、プロフェッショナルとプロって、同じ言葉のように見えて、チョット使い方が違う点があるように思ったのです。
プロとは呼ばれない
その回に取り上げられていたのは、魚仲買人でした。
別に魚仲買人についてどうこう言う訳では全く無いのですが、私が考える「プロ」では無いと思ったのです。
そう思ってみれば、番組のタイトルも、プロではなくプロフェッショナルです。
プロと言えば、すぐに思いつくのが、プロ野球、プロゴルファーのように、スポーツを行う事によりお金を稼いでいる人たちの事です。
これが私の考えている「プロ」です。
魚仲買人は、明らかにそういった人たちとは違います。
この番組の内容から考えると、「特定の仕事の中で能力が高く、技能に優れる人」といった意味でプロフェッショナルを使っている事になります。
”さすがあの人の仕事は、プロの仕事だね”といった言い方をするときのプロにあたるものだと言ってもいいでしょうか。
この場合のプロは、プロフェッショナルの略という事になると思います。
では、普通に思い浮かぶ「プロ」というのは、どういう事になるのでしょうか。
プロと呼ばれるのは
もう一度、話を番組の内容に戻すと、その対象は、先にも書いたように魚仲買人でした。
「能力が高く、技能に優れる人」という意味では、確かに取り上げられていた人は、プロフェッショナルと言っていい人でした。
しかし、よく考えると、どれほど技能が高くても、プロの魚仲買人と呼ぶことは有りません。
そもそも、アマチュアの魚仲買人という呼び方は有りません。
プロのゴルファーとは呼んでも、プロの魚仲買人とは呼びません。
これはどう考えれば良いでしょう。
こういう時には、同じ種類のものから共通点を考えるのが常套手段です。
という訳で、「プロ」の例を見てみましょう。
プロ野球選手
プロゴルファー
プロのピアニスト
プロの作家
プロゲーマー
プロ棋士
と思いつくままに挙げてみましたが、どうやら一つの共通点が有りそうです。
いずれも、人間が、生命を維持していくのに必要不可欠なものに、関わっているのでは無いという事では無いでしょうか。
とは言っても、魚仲買人は、一見生命維持に必要ではなさそうです。
そのあたりは、現代社会が複雑になってしまっているので、簡単に線引き出来るわけでは無いという事になるでしょうか。
現代社会の中で、基本的な生活を維持するのに必要なものを構成する一部かどうかという括り方がいいのかもしれません。
極端に言えば、「プロ」は有っても無くても、人間の生存には関係が無いという事です。
勘違いしないでいただきたいのは、決して、プロのようなものを問題にしている訳では無いという事です。
私個人としては、プロ野球が無くなると、確かに生存には問題が無いかもしれないですが、何とも味気ない生活になる可能性が高いです。
ただ、生存に関係の無い事で、お金を稼ぐ、すなわち生存を行うという構造が、我々の社会には有るという事が興味深いのです。
ではでは