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戦国時代は面白いが奇妙だ(後編)

戦国時代について考えてみた話(後編)です。

 

 

前編より

 前編で、武士階級が戦国時代のような戦乱に突入するインセンティブが、無いように思うと書きました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

では何が原因だったのかという事になる訳ですが。

ここで、前回も引用した、ウィキペディアの戦国時代の説明を、再び引用します。

世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って、守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。
引用元:戦国時代 (日本) - Wikipedia

ここに出て来る、世情の不安定化というのは、応仁の乱に始まる、全国レベルの戦乱を指していると考えるのが普通です。

戦国時代とそれ以前の戦乱

 戦国時代は、一般に、11年に渡る応仁の乱(1467年~1478年)によって室町幕府の権威が実質的に失われたことに始まるとされてきました。

室町幕府末期の全国規模の混乱がきっかけと考えているわけです。

ところで、全国的な混乱という事で有れば、源平の合戦も、鎌倉幕府から室町幕府への移行も、いずれも全国の様々な勢力を巻き込んだものだったはずです。

しかし、これらの混乱を契機として、全国的な戦乱状態になったという事は無く、後継の政権が出来て収まるという形になっています。

という事で、全国規模の戦乱だけでは、戦国時代が始まる原因にはならないことになります。

他に何かないでしょうか。

天候不順の影響

この当時世界的な規模で見られた現象に、シュペーラー極小期というものが有ります。

シュペーラー極小期とは15世紀から16世紀にかけて(屋久杉に含まれる炭素同位体の研究から1416年~1534年頃とする研究もあるようです)、太陽活動が低下した時期のことを指します。
それに合わせて、世界的に気温の低下が有ったとされています。

それに対応するように、日本では、1428年の正長の土一揆を始めとして、土一揆が15世紀の終わりにかけて発生しているという事実が有ります。

その原因に関しては様々な事が言われていますが、基本的には経済的な困窮が原因で有ったことは間違いないでしょう。

その経済的な困窮が、シュペーラー極小期の天候不順による、農業生産の不振に起因するのではないかというのが、私の考えです。

経済システムの崩壊

 ただし、応仁の乱の始まったころには、それまでの蓄積も有り、京都に軍を集め、戦いを始めることが、まだ可能だったのだと思われます。

しかし、十一年も戦いが続いた結果、その間の天候不順による農業不振により、各勢力を支えていた経済的なシステムが成り立たなくなっていったのではないでしょうか。

応仁の乱の、勝敗の決しない、なんだかよく分からない終わり方の裏には、そういった理由が有ったのでないでしょうか。
もはや、大規模な戦いを起こすことは難しかったという事なのだと思うのです。

それ以前の全国的な戦乱とは異なり、応仁の乱以降の戦乱では、幕府の権威の失墜と共に、荘園公領制を基盤とする経済システムも成り立たなくなってしまった
つまり、天皇を中心とする統治システムが崩壊したと言ってもいい状況になったという事だと思います。

その結果、従前のように、全国規模の戦乱の後に、次の政権が樹立されること無く、全国規模で混沌とした状況が継続することになったのが、戦国時代だったのではないかというのが、私の仮説です。


 結局、経済システムが崩壊していた訳で、インセンティブ云々どころでは無く、生き残らんがための、全国的な個々の死に物狂いの行動の結果が、戦国時代という事だったのだと思います。


ではでは