ブルシット・ジョブから考えた話です。
ブルシット・ジョブ
しばらく前から「ブルシット・ジョブ」という言葉を見聞きするようになりました。
「ブルシット・ジョブ」は、人類学者のデヴィッド・グレーバー氏がその著書の中で提唱した概念で、その訳書が4年程前に出たことで広まったて来たようです。
その意味するところは、「社会に何の影響ももたらさず、働く当人も意味がないと感じている仕事」だそうです。
その割合が、富裕国の37~40%にも及ぶかもしれないという内容も、十分にセンセーショナルでした。
加えて、「ブルシット・ジョブ」の和訳が、「クソどうでもいい仕事」というインパクトのあるものだったのも、一因のような気もします。
確かに、退職した身で振り返ってみれば、意味の無い仕事をやったり、やらせたりしていた人たちについては、自分も含めて色々と思い当たる節があり過ぎですが。
労働は美徳
グレーバーは、美徳の源としての仕事は最近の考えであり、勤労を美徳とするプロテスタントの考え方がその背景にあると考えているようです。
個人と社会全体の利益のために労働に励むこと働くことこそが、善行であるとする考えです。
この考え自体は間違ってはいないでしょうが、問題は労働の中身です。
その多くが労働をすること自体が目的となり、必要でもない「ブルシット・ジョブ」を生み出しているということでしょうか。
その原因は
そうなってしまった原因は、労働の目的である個人と社会全体の利益の中身にあるのではないでしょうか。
現在の社会において個人と社会全体の利益は、資本の拡大再生産という事になるでしょうか。
言い換えれば、お金をたくさん稼ぐことが美徳であり、成功者というわけです。
以前の記事で、このお金こそ問題の根源ではないかと考えました。
問題は、現代社会においては、お金が無いと生活していけないという事なのです。
本来ならば、農耕を取り入れることに拠り担保されるはずの、基本的な生活にもお金が必要なのです。
結局、お金を得るためにすべての人が仕事をすることになります。
お金さえ得られれば、仕事の内容は「ブルシット・ジョブ」でもいいわけです。
お金を得ることが、人生の目的なのです。
やはりベーシックインカムか
これに対する解決策として、グレーバーはベーシックインカムを提案しているようです。
ベーシックインカムについては、本ブログでも考えています。
やはり、全員で全員の基本的な生活を支える事に立ち返るというのは、考えてみる価値がありそうです。
が、問題もあります、ベーシックインカムの考え方は、あくまでも先進国の一部の富裕国では可能化もしれませんが、全世界に適応することは難しそうなんですよね。
ではでは