「昔思った疑問への解答」について考え直してみた話です
前回の記事から
前回の記事は、戦国時代の大名は、天下の統一を目指して争っていたわけでは無く、自らの家の存続をかけて戦っていたのではないか、という話でした。
それぞれの戦国大名が、自らの家を守るために活動していたのですが、その最終的な結果として、家康が江戸幕府を開くという形で決着したことから、全てが天下統一のためだと見えてしまったていると考えた訳です。
という記事をアップした後で、そうならば一つ考え直さないといけないかもしれない記事がある事に気づきました。
「昔思った疑問への解答」という記事です。
昔思った疑問
「天下統一を目指す者が、京都を目指すのはなぜか」という、中学時代の歴史の授業で思った疑問に対する、この年になってから解答してみたという記事です。
結論としては、天皇を頂点とした律令制長きに渡って続いてきていたために、それ以外の権力構造を想像できなかったのではないかと考えました。
太陽活動の変化による気候変動により経済基盤、ひいては社会システムの崩壊が起こり、そこからの回復過程が戦国時代の混乱だと考えたわけです。
その時に、どういった形に社会を立て直すかと考えた時に、当然のように天皇を頂点とした律令制だと考えたのです。
その結果、皆こぞって天皇のいる京都を目指した訳です。
天下統一を考えていなくても
という話だったのですが、実際には天下統一を目指していなかったのでした。
であるならば、私の中学生の時の疑問は、そもそもの前提が違っていたという事になりそうです。
戦国大名たちが京都を目指したのは、天下統一するためではなく、家の存続のためだったのです。
という事で、「昔思った疑問への解答」を読み返してみたのですが、結論から言うと、それほど変更は必要が有りませんでした。
結局の所、天皇を頂点とした律令制のシステムを回復した後に、その権力構造の中でしかるべく地位に付くという目的は同じだと考えられるからです。
その先にあるのが、家の存続でも、結果としての天下統一でも同じ事なのです。
実際に、秀吉は関白になりましたし、家康は征夷大将軍になりましたしね。
信長も、家督を継いだ信忠に、官職も譲りたいと願った、という話もあるようですし。
結局、前提は違っていましたが、私の解答としては変わらず「みんなそういうものだと思ってた」という事でよさそうです。
冷静に考えれば、誰もかれも天下を目指すというのもおかしいですよね。
ではでは