引き続き、人類の進歩について考えた話です。
元来は能動的
前回の記事では、人類の進歩について考えました。
進んで歩むと綴る「進歩」という言葉にも見えるように、人類の歴史は、人類自ら能動的に動いた結果として古代から現代に向かって作られてきたという捉え方が良くされます。
しかし実際には、太陽活動の変化などによる気候の変化による環境の変化に、受動的に対応した結果ではないかという話でした。
加えて、太陽活動の変動によって幕藩体制が倒れる事が無かった江戸時代のように、ある程度の技術的、社会的なレベルになると、太陽活動の変化から有る意味自由になり、能動的に振る舞うようになるという事でした。
決定的な資本主義
その人類の能動的な動きを決定的にしたのは、資本主義が生み出されたことによると言えるでしょう。
資本主義とは、簡単に言えば、資本の増大のみを追求していくシステムです。
環境の変化に対応するといった事どころか、生きる事さえも直接的には関係なく、とにかく資本の増大、より卑近な言い方をすれば、金儲けを追求するのが目的という訳です。
生きる事が、金儲けに付随したものになったように感じられます。
環境問題が
そんな資本主義も、世界人口の増加などにも表れているように、20世紀まではそれなりに回っていたと言っていいかと思います。
まあ、貧富の差の拡大とかの、無視できない問題も少なからず露呈していたのは確かですが。
そんな中で、人類の前に突き付けられた問題は、やはり環境の変化でした。
といっても、これまで考えて来たように太陽活動の変化によるものは、もはや問題とはなり得ないはずです。
その代わりに原因となったのは、皮肉なことに我々自身の活動から生み出された温暖化ガスでした。
個人的には、これがどの程度の問題なのかについては、いささか疑問もありますが。
社会変化を生じるのか
これまで本ブログで考えて来たように、環境の変化によって社会システムが影響を受け、それに変わって新たな社会が形成されるという過程を通る例が多く見られました。
今回は、温暖化ガスという自ら作り出したものが原因ですが、環境が変化するという結果は変わらないとも言えます。
そうであるならば、環境の変化による影響は問題ですが、新たな社会を作るチャンスだとも言えそうです。
こういった状況を生み出したともいえる資本主義を、考え直す良い機会なのかもしれません。
個人的には、生きる事と金儲けを分離出来ないかと思っているのですが。
年寄りとしては、今の生活が変化するのはかなり怖いのですけどね。
ではでは