レコンキスタと太陽活動について考えた話です。
大航海時代と太陽活動
前回は、中南米の文明を征服する結果となったスペイン人の新大陸への来訪が、単に不幸な偶然というものではなく、その背景にも太陽活動の影響があったのではないかという話でした。
スペイン人が新大陸にやって来た背景には、いわゆる「大航海時代」というものが有りました。
その「大航海時代」そのものが太陽活動の回復の中での拡大指向が、ヨーロッパにおいて海外に向けられた結果ではないかと考えました。
今回は、その「大航海時代」が始まるまでの経過について考えて見ます。
ポルトガルから始まった
前回も書いたかと思いますが、「大航海時代」の始まりは、ポルトガルによる北アフリカへの進出とされているようです。
それ以降も、ポルトガルは西アフリカ沿岸の探検と開拓をしていくことになります。
中でも有名なのが、何故か私もこれだけはよく覚えている。エンリケ航海王子でしょうか。
余談ですが、彼は「航海王子」と呼ばれてはいますが、本人は航海しなかたようです。
パトロンとして航海者の後押しをしたという事のようです。
それはともかくとして、ポルトガルがアフリカに向かった背景には、当時の海上貿易の中心である地中海が、イスラムやベネチアなどに支配されており、入り込む余地が無かったという事も有ったようです。
それに加えて大きかったのが、いち早くレコンキスタを達成していたという点です。
レコンキスタ
「レコンキスタ」とは、ご存知のように、イスラムに征服されていたイベリア半島を取り戻すというもので、日本語では「国土回復運動」と訳されています。
その経過は、極々簡単に纏めると次のようになります。
イスラムのウマイヤ朝が711年にイベリア半島に侵入を開始し、710年代の終わりまでにほぼ征服しました。
718年に北部にキリスト教徒によるアストゥリアス王国が建国されます。
この年からレコンキスタが開始されたとされているようです。
その後イスラム勢力を排除しながら南下し、1251年にジブラルタル海峡に到達します。
残るイスラム勢力は南部のグラナダ王国のみとなります。
その後グラナダは200年近く持ちこたえますが、1492年に陥落しレコンキスタは終結することになります。
この途中の1143年にポルトガル王国が誕生し、後のいち早い海外進出の遠因となる訳です。
太陽活動から見ると
711年からのイスラム勢力によるイベリア半島の征服は、中世極小期への変化の中で起こったように見えます。
718年から1251年までのレコンキスタは、中世極大期への回復の中で起こったと言えそうです。
その後グラナダは頑強に持ちこたえますが、シュペラー極小期への変化の中で滅亡したと考えられます。
と、きれいに当てはまりそうなのですが、よくよく考えると苦しい点がある事に気が付きました。
中世極小期への変化はイスラム勢力に有利に働き、シュペラー極小期への変化では同じイスラム勢力のグラナダに不利に働いたというのは、都合が良すぎますよね。
加えて、中世極大期への回復が、キリスト勢力だけに有利に働いたというのも一方的すぎるような気もします。
この辺りはもう少し考えてみる必要がありそうです。
それにしても太陽活動の変化に沿っているように見えるんですよね。
ではでは