港と湊からヤマトについて考えた話です
港と湊
久しぶりの邪馬台国がらみの話です。
ふと、「港」と「湊」に違いは有るのか無いのか気になって調べていたんですが、Wikipediaで、次のような記述を見付けました。
湊(みなと)は「水の門」を意味し、『古事記』や『日本書紀』では「水門」と書かれる。
引用元:湊 - Wikipedia
つまり、川や海の水に向かって開かれた門のような場所なので、「水門」と書いてミナトという訳です。
それが現在では、「湊」として使われているという事のようです。
因みに、「港」に関しては、同じページに
古くは、港湾施設のうち水上部分を「港」、陸上部分を「湊」と呼んだ。
との記述が有りました。
昔は、ミナトの水の部分を「港」、陸の部分を「湊」と区別していたようです。
それが、今では同じ読みで、ほぼ同じ意味で使われていると考えていいようです。
山の門
さて上に書いたように、「ミナト」が「水の門」であるならば、「山の門」は「ヤマト」ではないかというのが今日の話のポイントです。
昔は、山への入口にあたる場所を、「山の門」から「ヤマト」と呼んでいたのではないか。
その中の一つに邪馬台国が有り、倭人が「ヤマト」と言ったのを聞いて、中国人が「邪馬台」と当て字したのでなかったか。
私の説では、その邪馬台国が東遷して、大和(ヤマト)になるという事になります。
ヤマト=邪馬台
そう考えて調べると、有りました。
チョット長くなりますが、引用します。
奈良時代まで日本語の「イ」「エ」「オ」の母音には甲類 (i, e, o) と乙類 (ï, ë, ö) の音韻があったといわれる(上代特殊仮名遣い)。「邪馬台国」における「邪馬台」は"yamatö"(山のふもと)であり、古代の「大和」と一致する。筑紫の「山門」(山の入り口)は"yamato"であり、音韻のうえでは合致しないので、その点では邪馬台国九州説はやや不利ということになる。ただし、古来、「と(甲)」と「と(乙)」は通用される例もあり、一概に否定はできない。
引用元:倭 - Wikipedia
「山門(ヤマト)」が山の入口で、その一つに邪馬台国が有ったと考えるのも、それほど的外れではないようです。
山門郡
上の引用中に出て来る筑紫の「山門」というのは、福岡県の山門郡の事で、邪馬台国の候補地の一つとなっています。
山門郡は、平成の大合併により、郡そのものが現在は有りませんが、大体柳川市とみやま市の辺りとなるようです。
位置的には、福岡県でも南西部(赤丸:筆者追記)に位置し、有明海に面しています。
その周辺を、以前の記事でも使ったこのとある赤色地図で見てみましょう。
出典:「地理院タイル」(https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html)
有明海から上陸して、山間部に入っていく入口で「山門(ヤマト)」という事が分かります。
宇佐はヤマトか
では、私の推す宇佐はどうでしょうか。
同様に、赤色地図で見てみます。
出典:「地理院タイル」(https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html)
どうでしょうか、水辺に面しているわけではありませんが、左右の狭隘部分を通って宇佐神宮から南の山間部に入っていく入口という事で、十分「山門(ヤマト)」と言って良いのでは無いかと思うのですが。
最後の結論に関しては、本人的には納得しているのですが、身びいきのバイアスが有るという批判は甘んじて受けます。
ではでは