『日本書紀』がなぜ編纂されたのか考えてみた話 その5です
一応結論は出たので
『日本書紀』が編纂された目的という、タイトルの内容に関しては、すでにその3で考えたように、藤原不比等が文武天皇の正統性を示すことで、藤原家の権力を保つために作ったという事で、一応結論が出ています(と私は思っています)。
という事だとすると、これまで『日本書紀』に関して言われてきたことの中に、見直すことが出来る点がありそうなので、そのあたりを考えてみたいと思います。
天武天皇による国家事業
先ず、『日本書紀』といえば、『古事記』と共に、天武天皇が国家事業として編纂させたと言われています。
この中で『古事記』に関しては、以前の記事で、天武天皇ではなく、物部氏が自分たちを売り込むために、私的に作られたものだと考えました。
加えて、『日本書紀』は上に書いたように、藤原不比等が作った訳ですから、天武天皇はいずれにも関係していない事になります。
すると、必然的に、天武天皇が、『古事記』を国内向け、日本書記を国外向けに、それぞれ作らせたという見方は、成り立たないことになります。
それどころか、国家的事業ですらなかったことになります。
この事は、天皇が命じた国家事業だとすると、それに関する記述が少なすぎるという事実とも符合します。
特に『古事記』に関しては、全くその編纂に関しての情報が無い事も、説明が付きます。
「帝紀」と「上古の諸事」
『日本書紀』に関しては、天武天皇がまとめさせた「帝紀」と「上古の諸事」に、天武、持統両天皇の分を追加して、作ったと考えました。
「帝紀」と「上古の諸事」は、歴史書としてまとめられたものでは無く、天皇政権側でのみ閲覧出来る公的な記録のようなものだったのではないかと考えたのです。
『日本書紀』の形に成るまでは、一般的には、その内容を知らなかった可能性が高いと考えられます。
そのことは、『日本書紀』の勉強会である「日本紀講筵」が、完成の翌年から行われたことからも伺われます。
まあ、これについては、文武天皇の正統性を、公式な歴史として知らしめるという意味があったとも考えられますが。
なぜ漢文なのか
この事から、漢文で書かれているという特徴に関しても、一つの仮説が考えられます。
一般に、漢文を使っていることについては、『日本書紀』が国外向けに作られたためと考えられていますが、単にベースとなったものが公的な記録だったからであり、当然それは漢文で書かれていた、というだけのことでは無かったのか。
天皇に撰上するために作った訳ですから、追加した分も含めて、そのまま公的な文書として漢文で作成されたという事では無いでしょうか。
中国を始めとする国外に対して、『日本書紀』が提供されたという事実も無いようですし、そんな目的で作られた訳では無かったのです。
勿論、その目的がどうあれ、『日本書紀』と『古事記』の価値が損なわれることが無いのは、言うまでも無いですけどね。
ではでは