まるで漢文の授業
「日本紀講筵」は、『日本書紀』の成立後から平安時代にかけて宮中で行われた『日本書紀』に関する講義です。
現代の歴史の授業のように、学生に対する教育としてならまだ分かりますが、国史について、同時代人それも宮廷人に講義を行うというのはどういう事でしょう。
個人的には、『日本書紀』が天皇政権の内部的な資料である「帝紀」などを基に編纂されたために、一般的にはその内容を知られていなかったので、国史としての内容を公式なものとして知らしめるために、講義が行われたぐらいに考えていました。
ところが、改めて調べて見ると、講筵では『日本書紀』の漢語の訓読が主要な内容だったようなのです。
勿論、その内容についての話もあったようですが、ほとんどはどうやってその文章を読み下すのかというものだったのです。
これではまるで、高校の漢文の授業ではないですか。
漢文は必須だった
最初の「日本紀講筵」は、『日本書紀』完成の翌年には行われたようなので、完成直後から読めないという声が有ったこと伺わせます。
しかし、これはチョットおかしな話なのです。
上にも書いたように、「日本紀講筵」は宮中で行われた講義です。
という事は、その講義を受けるのは、宮中に参内出来る立場の者という事になります。
その人たちが、漢文を読み書き出来ない筈がないのです。
何しろ、当時はまだ平仮名などという便利なものはないわけで、文章は、公的私的にかかわらず、全て漢文で書かれていたのです。
その読み書きを学ぶことは、将来宮中に参内するようになると考えられる立場の人間にとって、必須だったはずです。
なぜ、その人たちに対して講義する必要があったのでしょうか。
それでも読めない部分があった
それでも読み方を講義するからには、彼ら宮廷人には『日本書紀』に簡単には読めない部分があったという事になります。
編纂に長い期間掛かったためだという事はないでしょうか。
特に初期に使われていた言葉が古くなって、分からないという可能性です。
一般には、『日本書紀』の編纂には約40年かかっていると考えられています。
確かに40年というのは短くはない期間ではありますが、その程度の昔に書かれた文章が読めなくなるということは考えられないでしょう。
昭和の終わり頃に書かれた文章は、表現に古いものを感じるとかの違和感は有っても、読めないという事は有りませんよね。
これは考え難いようです。
そもそも新たに国史として作られた書物の文章が、当代の宮廷人に読めないという事は普通に考えておかしな話なのです。
疑問にまみれたまま続きます。
ではでは