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「日本紀講筵」から『日本書紀』を考える(後編)

日本紀講筵」から『日本書紀』を考えてみた話(後編)です

 

 

日本紀講筵」の行われた謎

 前編は、『日本書紀』が漢文で書かれているにもかかわらず、漢文の読み書きが必須で有ったと考えられる同時代の宮廷人に、その読み下し方を講義する「日本紀講筵」が行われたのが謎だという話でした。

リンク:「日本紀講筵」から『日本書紀』を考える(前編)

しかし、実際に読み下し方を講義していたのですから、現実に読めない部分があった事は間違いない事になります。

この点について、前編では、約40年と考えられている『日本書紀』の編纂期間程度では、書かれた文章が読めなくなることは、常識的に考えて有り得ないだろうと考えました。

例として、現時点で考えると40年前は昭和の終わりごろであり、その頃の文章が読めないという事は無いだろうということです。

古文、漢文の授業

 ところで、40年とは言わず、さらに遡るとどうでしょう。

江戸時代以前まで遡ったとすると、その頃の文章を簡単に読んだり、意味を取ったりすることは難しくなります。

そのため、古文や漢文の授業という形で、その時代の言葉の使い方、意味について学ぶ事になります。

それの『日本書記』版が「日本紀講筵」という事なのではないでしょうか。

『日本書記』に、当時の宮廷人から見て、そのままでは言葉使いが理解できない古い文章が存在しており、それを理解出来るようになるために、現代の古文、漢文の授業に相当するものを受けたという訳です。

編纂は短時間だった

 これはどう考えれば良いのかという事になりますが、ポイントは編纂にかかった時間に有るのではないかと思うのです。

もし従来考えられているように、編纂に40年という時間が使われたので有れば、纏めるに当たって、文体が古くて読みにくいものをそのまま書き写すのではなく、読み下せるように書き換える時間は十分に有ったはずです。

そうなっていないという事は、『日本書紀』が従来考えられているよりは、短期間で纏められたものだという事を示しているのではないでしょうか。

日本書紀』は『帝紀』や『旧辞』などの昔から纏められてきたものを原資料として編纂された訳ですが、時間がないことからそのままもって来て形を整えるだけになってしまったのです。

そのため、古い時代の資料から持ってきた部分は、当代の人たちには読み難いものになってしまったので、「日本紀講筵」が行われることになったという事なのではないでしょうか。

日本紀講筵」が傍証に

ところで個人的には、『日本書紀』は、藤原不比等が自らが築き上げた権力構造の正当性を示すために編纂させたと考えています。

 

yokositu.hatenablog.com

 

さらに編纂は、老齢の域に達した不比等が、自分亡き後の藤原家を見据えて行った事だと考えました。

そのため、編纂のために許された時間は少なく、そのことが『日本書紀』の特徴にも表れていると考えました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

これらの考えの一端を、今回の話は裏付けていると思うのですがどうでしょうか。


今回は、「日本紀講筵」の存在が、『日本書紀』の編纂過程を反映しているのではないかという話でした。


ではでは