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藤井七段の強さの秘密について考えてみた(2)

 藤井七段の強さの秘密について考えてみた話(2)です。

 

 

前回の記事から

 前回の記事で、藤井七段の凄さとして、幼少期のエピソードと、神の一手について書きました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

今回の記事は、その内容を基に、藤井七段の強さの秘密について考えてみようという訳ですが、神の一手が、幼少期のエピソードに影響を受けているのではないかというのが、基本的なアイデアとなります。

前回も書いたように、藤井七段の見せる、いわゆる神の一手には、二種類あるというのが、私の見立てです。

1.打たれた時に、その意味がすぐには分からないもの。
2.打たれた瞬間に、その内容に驚くもの。

の二種類となります。

それぞれに、幼少期のエピソードとの関係から考えてみたいと思います。

一種類目の神の一手

先ず一種類目の神の一手についてですが、その意味がすぐには分からないという事は、普通に考えて、明らかに、藤井七段の手筋の読みの能力が、居並ぶプロ棋士のそれを凌駕しているという事を示していると言っていいでしょう。

これに関しては、読み書きより先に定跡を理解し、詰将棋の能力が小学六年の時点で日本一で有る事から、十分に納得できる能力だと言えるでしょう。

だた、その読みのレベルが、常識はずれだというのが、やはり天才の天才たる所以と言うべきなのかもしれません。

二種類目の神の一手

 次に二つ目ですが、前回の話でも少し触れましたが、この2つ目に含まれる指し方の特徴は、読みの能力の優劣ではなく、これまでの常識では、特にプロ棋士等のいわゆる将棋の強い人の、読み筋に挙がり難いもののようだという事です。

こちらに関しても、実は、幼少期のエピソードにあげた事柄が、大きな影響を与えているのではないかと言うのが、私の仮説です。

先ず、詰将棋では、相手の「玉」を、王手の連続で、詰んでいきます。
そのため、当たり前ですが、自陣が攻められるという事を想定しなくてもいいという事になります。
従って、駒の軽重や役割、損得、役割と言った、将棋を指す時に重要と考えられている見方は必要なく、むしろ重要なのは、各駒の動き方、動かし方という点に絞られる事になります。

もう一つの、5歳で、500ページ近い厚さの定跡本を1年で理解、記憶してしまった件についても、同じような事が言えるように思われます。

前の記事でも触れたように、その時点では、まだ読み書きが出来なかったようです。
ということは、本に、駒の軽重、損得、役割といった事が説明してあっても、それを読むことなく(読めなく)、純粋に駒の動きのみで、理解、記憶したと考えられます。

以上のような状況で、将棋に習熟した藤井七段は、普通に訓練してきたプロ棋士が、ほとんど本能のように身に着けている、駒の軽重、損得、役割という常識に、当然現在では知っている訳ですが、それほど捕らわれていないという可能性が高いのではないでしょうか。

ならば、藤井七段の快進撃は続く

 二つ目に分類される指し手は、明らかに、駒の軽重、損得、役割と言った常識的な考え方からは、離れた打ち方のように思えます。

そのため、普通のプロは、このような打ち方を、上記のような本能とも言える知識のせいで、無意識のうちに読み筋から外してしまうために、藤井七段の打ち手を見た時に、驚くことになるという事なのではないでしょうか。

もしそうだとすれば、藤井七段の快進撃が、この後も続く可能性は高い、という事が言えるかもしれません。

それは、上記のような事が、理屈で分かって、研究したとしても、これまで長年に渡って訓練してきた、駒の軽重、損得、役割といった、体に染みついたと言ってもいい常識に基づいた反応を、一朝一夕に修正するのは困難だと思われるからです。
特に、本番の重圧の中では、なおさらでしょう。

という訳で、彼の強さは、文字通り、「常識外れ」の強さという事になります。


 一応結論のようなものが出たわけですが、次回は、色々と言われることのある、AIとの関係を考えてみたいと思います。


ではでは