『日本書紀』創られた日本 22 神代についての話 12です。
前回は出雲神話
前回は、『日本書紀』には無く『古事記』のみ記述されている、出雲神話について考えて見ました。
出雲神話は、ヤマタノオロチ退治の話を除けば、ほぼ大国主に関する3部作ともいえるものであり、大国主の正統性を説明するものという話でした。
その中で、出雲王朝の勢力範囲が大和まで達していたと考えられる事も分かりました。
この後は、『記紀』いずれも「国譲り」の話へと続いていきます。
今回は、この「国譲り」とは何なのかを考えて見ます。
国譲り
国譲りは、ごく簡単に言うと、大国主とその子孫が造り上げた国を、高天原の神に譲る、という話になります。
その大国主とその子孫が造り上げたの国は、豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)にあるという事になっています。
豊葦原中国は、高天原と黄泉の国の中間に有るという意味で中国(なかつくに)であり、我々の住む地上世界だとされています。
地上世界という大きな括りではあるのですが、出雲神話と呼ばれているように、その舞台となっているのはほぼほぼ出雲を中心とする地域なのです。
上でも触れたように、大和も最後に出て来ますが、それも含めて出雲王朝とも呼べる地域の話であり、日本全国ではなく出雲地域を中心とした出雲王朝の勢力範囲を譲られた話と言っていいものになっています。
出雲王朝打倒の話
本ブログでは、北部九州に有った邪馬台国の一部が東遷し、後の大和政権の礎になったと考えています。
東遷の事績が反映されたのが、神武東征の話なのです。
神武東征については、改めて取り上げますが、先にも書いたように大和の地は出雲王朝の勢力範囲にあり、大和に入るには激しい戦いが有りました。
当然、大和への侵入を許した後も、出雲王朝との争いは続いたはずです。
その時の出来事を基にしたのが、国譲りの話なのでは無いでしょうか。
神の時代の話
しかし、東遷時の戦いが基になったとすると、時系列的に問題が生じます。
『記紀』では、国譲りの後に天孫降臨が有り、その子孫である神武天皇が東征を行うという話になっています。
つまり、時系列的に逆になっているのです。
これには、神武天皇の昔から一貫して日本を治めて来た正統な王朝だと示す、という考え方が反映していると考えます。
『記紀』の日本神話の基になった話は、東遷から『日本書紀』の100年程前と考えられる『古事記』の編纂までの間にその原型が創られたと考えています。
創られた時点で、出雲王朝との争いには勝利していたと考えられますが、一貫して治めていたことにするためには、その争ったこと自体をそのまま認めるわけにはいかなかったのです。
また、敗れたとはいえ、出雲王朝の影響もまだ残っていたはずです。
これらを、神の時代に持っていき、さらに国譲りをうけたということにすることにより、東遷後の出雲王朝との戦いを消し、大和王朝の一貫した統治と正統性を示したのです。
出雲神話まで話が行きませんでした。
ではでは



