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サヴァン症候群と悟り

サヴァン症候群と悟りについて考えた話です。

 

 

サヴァン症候群

 「あなたの中に眠る天才脳」という番組を観ました。

記憶だけで精密な風景画を描いたり、一週間でそれまで知らなかった言語を話せるようになったり、ショパン幻想交響曲を40分でピアノで弾けたりといった、特定の分野で並外れた能力を示す人たちがいます。

その一部に、知的障害や自閉症などの発達障害等をもっている人達がいます。

それら人たちのことをサヴァン症候群と呼びます。(能力が高いことを症候群というのはどうかとも思いますが)

獲得性サヴァン症候群

 通常、サヴァン症候群は生まれつきのものなのですが、一部に後天的にその能力を獲得した人たちが存在します。

プールで事故に遭い、その後それまで弾けなかったピアノで作曲が出来るようになった人や、暴漢に襲われた後で世の中がフラクタルに見えるようになり、数学的才能が開花した人もいます。

その人たちのことを、獲得性サヴァン症候群と呼びます。

上の例のように、獲得性サヴァン症候群は、何らかの事故に遭う事でなるようです。

障害の部位が問題

 獲得性サヴァン症候群のケースを調べることで、その共通点が明らかになりました。

それは、獲得の原因となった事故で生じた障害の部位に在りました。

いずれも脳の左半球が損傷していたのです。

一般的に、脳の左半球は言語的、論理的な機能を、右半球は芸術的、視覚・聴覚的な機能を受け持っているとされています。

さらに、左半球は「優位半球」とも呼ばれ、左半球が右半球を抑制していると考えられています。

つまり、獲得性サヴァン症候群では、左半球に損傷を受けることでその抑制機能が低下し、結果として右半球の機能が向上したことで、眠っていた能力が開花したと考えられるのです。

そのため、人為的に左の機能を抑制することで、能力の向上を目指す研究がされているようです。

それでも何の能力も見られなかったら、かなりへこむかもしれませんが。

「悟り」に至るには

 ところで、以前の記事で、仏教における「悟り」について考えています。

 

yokositu.hatenablog.com

 

「悟り」に至るための修業には、各宗派毎に様々な方法があるが、共通点は集中することにより施行を極限まで減らす、いわゆる「無の境地」に至ることにあること。

さらに、何らかのきっかけに出会い、そのきっかけに意識が移る瞬間に極限まで減らした思考すらもなくなる、「無思考」の状態になることが、「悟り」に至る条件では無ないかと考えました。

左半球の損傷と無思考

 損傷により左半球の機能が低下したという事は、言語、論理に関係する機能が低下したという事になります。

言い換えれば,思考する機能が低下しているともいえます。

これは、上で見た仏教の修業の結果到達すると考えられる、「無思考」と同じと言えそうです。

つまり、獲得性サヴァン症候群で新たに開花した機能こそが、仏教における「悟り」なのではないでしょうか。

「悟り」は、「不立文字」で「52種」

 そう考えると、色々と説明出来るのです。

先ず、「悟り」の境地は「不立文字」、つまり言葉では表すことが出来ないという点です。

これは、獲得性サヴァン症候群の人々が、異口同音に「自分にも何が起きているのか分からない」と言っていることからも分かるように、本人にも分からないことを、文字であらわすことは出来ないのです。

次に、「悟り」に52種もあるという点です。

正確には、「52種」の「悟り」の境地があるという事のようですが。

これは、獲得性サヴァン症候群で発現する能力には、音楽、数学、記憶等々の様々なものがあるという事に対応するとも考えられます。

人為的に左半球の機能を操作することにより、「悟り」に至ることが出来るのかもしれません。


 なんと、前回出て来た「阿耨多羅三藐三菩提」も「悟り」の一種のことを指しているそうです。人為的に「悟る」ことで、変身できるのかもしれません。


ではでは