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時間だけはある退職者が、ボケ対策にブログをやっています。

足立美術館と美

 足立美術館から、美について考えた話です

 

 

人気の美術館

足立美術館という、島根県に有る美術館の話をテレビで見ました。

美術館に行ったりすることがあまりない人間なので、全く知らなかったのですが、最近、国内はもとより、海外からもお客が来ているようで、ミシュランでも三ツ星を獲得しているようです。

見て驚いたのが、この美術館で有名なのが、その収蔵品(横山大観のコレクションは100点以上あるようです)ではなく、その敷地内に有る日本庭園だという事です。

しかも、その日本庭園が、一つではなく六つに分かれ、面積5万坪に及ぶらしいです。

このような特異な美術館は、どのようにして作られたのでしょうか。

足立美術館

足立美術館は、実業家・足立全康が、そのコレクションを基に、1970年に開館したものとなっています。

そのホームページを見ると、日本庭園がある理由については、次のように説明されています。

「名園と横山大観コレクション」すなわち日本庭園と日本画の調和は、当館創設以来の基本方針であります。それは、日本人なら誰でも分かる日本庭園を通して、四季の美に触れていただき、その感動をもって横山大観という、日本人なら誰でも知っている画家の作品に接することで、日本画の魅力を理解していただきたい。そして、まず大観を知ることによってその他の画家や作品に興味を持っていただき、ひいては日本画の美、すなわち「美の感動」に接していただきたいという、創設者 足立全康(あだちぜんこう)の強く深い願いがあってのことなのです。

つまり、日本庭園と日本画を同時に見ることに拠り、日本画がいかに自然の美しさを写し取っているかを見てほしいと考えた訳です。

にもかかわらず、テレビなどで紹介されるのは、専らその日本庭園の素晴らしさと言う状況です。
残念ながら、贔屓の引き倒しのような状況になっているわけです。

これは、ど素人が無責任に言わせていただくと、いかに技を尽くそうとも、自然を写そうとしたものは、しょせん自然の美しさには敵わないという事ではないでしょうか。

私の考える美

私は、以前のストラディバリウスの記事でも書いたように、芸術的センスはほとんどないのですが、物の美しさという事については、個人的な考えを持っています。

美術品は、美の術の品と書くぐらいなので、美しくなければならない訳です。
まあ、見る人がいてこそのものなので、各人が美しいと思えば、美術品だといっても、間違いではないでしょうけど。
それでも、自然にあるものを題材にしているものは、結局題材の美しさには及ばないのでは無いか。

であるならば、自然に無い美を作り出してこその美術ではないかなと思っているのですが。

機械や道具に見られる機能美は、そういったものの一例かなと。


 理系人間が、美術品の美について、屁理屈をこねてみました。


ではでは