刻彫尺八についての話です
刻彫尺八
刻彫尺八(こくちょうのしゃくはち)というのは、正倉院宝物の一つで、竹製の尺八です。
今年の「正倉院展」で展示されました。
左:全体像 右:部分拡大
引用元:天平の粋 至宝輝く 第73回展の主な宝物 | 動画・コラム | 正倉院展
『国家珍宝帳』に「刻彫尺八一管」と記載されており、いわゆる「帳内御物」で、宝物中の宝物です。
正倉院北倉にあった聖武天皇の身の回りのものをしまってある戸棚から見つかったので、天皇愛用の品だったと考えられているようです。
北倉には、他にも尺八が納められており、どうやら聖武天皇は尺八がお好きだった様です。
と分かったような事を書いていますが、芸術方面にはあまり興味のない私が知っているはずもなく、NHK日曜美術館の「正倉院展特集」でにわか勉強しました。
全面に彫刻
それはともかくとして、写真を見て分かる様に、現代の我々が尺八と聞いて普通思い浮かべるものと違って、全面に彫刻がなされています。
その彫刻ですが、材料の竹の表皮を文様の形に残すように削り落とすという、私なんぞには信じられないテクニックで彫られています。
ちなみに、この刻彫尺八の径は、上端で2.4センチ、下端で2.2センチと、現代の標準的なものの半分程度の太さしかないようです。
部分を拡大したものをご覧ください。
引用元:【特集】1300年の時を超えた奇跡の宝物を公開 「第73回 正倉院展」美を生み出した技法に迫る!(読売テレビ) - Yahoo!ニュース
真ん中付近の鳥の文様は、幅1センチ程度のものだという事になります。
その大きさで、削り残しただけでなく、線刻も施されているのがわかります。
アップに感じた違和感
番組でも、同じように部分のアップの場面が有ったのですが、それを見た時にチョットした違和感を感じたのです。
上の写真の部分もそうなんですが、文様の精緻さはあるのですが、それに比べて、削り取った部分の仕上げが今一つのような気がしませんか。
文様の出来がこれ程素晴らしいのに、なぜ削り残しが有るのでしょう。
という訳で今回は、どうして削り残しが有るのかについての話になります。
天皇向けとしては雑
先ず、国内で作られたものでは無い可能性が高いと思われます。
なぜならば、天皇がお使いになる事が、または天皇に献上することが分かっている場合に、この程度の仕上げで完成とすることは考えられないと思うのです。
次に、刻彫尺八については、唐の貴婦人などの文様の内容から、唐で作られたと考える方が自然です。
そうだとしても、唐の皇帝から天皇に送られたものでも無いように思われます。
やはり、そのような目的に使われるものとしては完成度の点でそぐわないような気がするのです。
ある意味、唐の皇帝としての面子が掛かっているわけですから、完璧を期すはずです。
では何なのか
では何かという事になりますが、私の説は、当時の唐で市中に流通していた品では無いかというものになります。
刻彫尺八を作った人物は、文様部分の出来から見て、明らかに地の部分をもっと完璧に仕上げる能力はあったと思われます。
それでも、実際に出来上がったものはそうではない訳です。
これの意味するところは、彼が、そこまでの出来上がりを要求されていなかったという事なのでは無いでしょうか。
完璧な出来上がりの一品では無く、そこそこの水準のものを、ある程度の数量そろえる事が要求されていたと考えれば納得出来そうです。
または、工房の形態をとった所で作られた量産品という可能性も考えられます。
そういったものが流通する市場が、当時の唐にはすでに有ったという事なのでしょう。
それを、遣唐使が手に入れて持って帰ったという事なのかもしれません。
さらにそれを聖武天皇が愛用していたという事は、当時の日本にはそこまでの技術はまだ無かったということを示しているのかもしれません。
以上、削り残しが有るというだけで無理矢理引っ張った話でした。
ではでは