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『日本書紀』創られた日本 9 -『古事記』2-

日本書紀』創られた日本 9 『古事記』についての話 2です。

 

 

事績が記されていない天皇

 欠史八代というのが有ります。
記紀』の記述の中で、系譜が記述されているが、その事績が記されない第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの8人の天皇のことを指します。

事績が記されていないことから、実在しないのではないかと考えられています。

古事記』の内容を見ていくと、欠史八代と同じように、系譜が記述されているが、その事績が記されない天皇が、ほかにも存在しています。
第27代安閑天皇から第33代推古天皇までです。

勿論、実在しないわけでは無く、『日本書紀』にはその事績が記されています。

しかも、この七代は、『古事記』の最後の部分であり、作者から見て、最も近い時代の天皇達と言うことになります。

ひょっとしたら、稗田阿礼が、ど忘れしてしまったのかもしれません。
そうであったとしても、作者がそれらの天皇について知らなかったとは考えられません。

明らかに、故意に事績を記述しなかったと思わざるを得ません。

第26代は継体天皇

 ところで、第27代安閑天皇の前は、第26代継体天皇です。

継体天皇に関しては、『日本書紀』によると、武烈天皇が後嗣を定めずに亡くなったため、有力豪族が協議し、越前にいた応神天皇の5世の孫を招いて即位したとされます。

5代前の先祖から分かれた親戚と言われても、ほぼほぼ他人と言ってもいいでしょう。

つまり、継体天皇から新たな血統の王朝となったのではないかと考えられるのです。

その継体天皇に関しても、『古事記』では、応神天皇の5世孫と言うこと以外には、ほとんど事績が書かれておらず、唯一、九州で起こった磐井の乱についてのみとなっています。

つまり、『古事記』の作者は、継体王朝の天皇に関しては、ほぼ事績を書いていない訳です。

なぜ事績を書かなかったのか

 前回の記事で、『古事記』は、山背大兄王を支持していた勢力の一部が、舒明天皇側に売り込むための資料として作られたと考えました。

 

yokositu.hatenablog.com

売り込むためには、継体王朝に対する功績を強調する必要がある訳ですが、作者は、事績を書き込むことが出来ない状況にあったのではないでしょうか。

それは、作者が、物部氏の一族だったためだと考えます。

唯一書かれた事績である、磐井の乱で功績のあった者は、乱を収めた物部荒甲大連と大伴金村連になります。

その後、物部氏は、仏教をめぐって、蘇我氏と対立をします。

さらに、第31代用明天皇の後継を巡っても、蘇我氏と対立した挙句、大連の物部守屋が戦死することになり、物部氏は政治の中枢から外れることになってしまいます。

事績を書き込むことにすると、これらの事も書かざるを得なくなってしまう訳です。

加えて、山背大兄王の祖母は物部氏と伝えられており、蘇我氏に対抗して、山背大兄王物部氏が支持し、再び敗れたとも考えられます。

以上のような状況のもと、継体天皇の代における、磐井の乱以外の事績を全て省くことにしたのだと思います。
継体王朝の開祖である、継体天皇との関係のみにすることで、正当性を示すことにしたのでしょう。


 継体恩顧の忠臣という訳ですが、残念ながら蘇我氏の力は強く『古事記』の効果はなく、乙巳の変蘇我氏を滅ぼした天武天皇の御代に、物部氏から改めた石上氏が復権するのを待たなければならなかったのでしょう。


 ではでは