先史時代の洞窟壁画について考えた話続々編です。
前回までの話
前回までの記事で、先史時代の洞窟壁画について考えて見ました。
動物や人だけではなく、共通な記号も使われていることから、動物を狩るための何らかの情報が描かれているのではないかと考えました。
同様な記号が、ヨーロッパだけではなく、アジアやオーストラリアの洞窟壁画にも見られることから、ホモサピエンスがアフリカから出て、東西に分かれるまでの期間に壁画を描くことが始まったのではないかという話でした。
有る時に始まった手段が、その有用性のゆえに、世界に広がるホモサピエンスと共に各地で描かれる事になったという訳です。
基本はそうだが
基本的には上のような事だと思うのですが、それですべてが説明出来るのかと言うと、苦しいと言わざるを得ないと言うところなのです。
例えば、壁画の描かれているのが、洞窟の入口からかなり奥まった場所、具体的には1キロとかという深さの所だったりするものが有ります。
現代においても、遺跡調査というよりは、洞窟探検といったレベルの場所に絵が描かれているのです。
当時は光源も、たいまつのようなもので、そこまで行くのも大変だったはずです。
そんな部分に、狩猟のための情報を描いているわけです
動物を狩るための情報を得るのに、命を懸けるというのは、意味が分かりません。
大量の手形
場所だけではなく描かれているものについても、単なる情報とは思えないものが見られます。
それは、以下のような手形、それも異常とも思える量の手形です。
これは、どうみても動物に関する情報ではなさそうです。
宗教とまでは言わないが
命がけの場所とか、以上とも思える量の手形からは、宗教とまでは言いませんが、何かの祈りとか呪術的なものを感じさせます。
恐らく、こういったものが在る洞窟壁画は、動物に関する情報の記録としての壁画から、儀式の対象へと変化していったものなのでしょう。
アフリカから出て、東西に分かれていく過程では、記録方法として有用だったものが、次第に狩猟の成功を始めとして、何かを祈る対象になっていったものという事です。
もっとも全てがそうだったのでは無く、情報元としての壁画も有ったはずです。
ひょっとしたら、環境の変化で、動物が取れにくくなった時代、場所で、祈りの対象への変化が有ったのかもしれません。
最初は、動物の写実性の高さに関する説明を思いついて書き始めたのに、いつの間にか話が湧いてきて続々まで書いてしまいました。こういう事があるから面白いです。
ではでは