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大八車で驚いた話

大八車で驚いた話です。

 

 

時代劇と大八車

 時代劇については、若い頃はそうでも無かったというかほとんど興味は無かったのですが、年を取るにつれて観るようになりました。

といっても、精神的に成長しきれていないせいか、観るのはもっぱら予定調和ものなんですけどね。

遠山の金さんとか、水戸黄門とかそういったやつです。

という訳でも無いのですが、今回はその時代劇に普通に出て来る大八車について驚いた話です。

どうして大八?

 その大八車ですが、時代劇で出て来た時に、どうして「大八」という名前なんだろうと思った訳です。

5歳の女の子に叱られたくないので、さっそく調べました。

そうしたら、驚くべきことが分かった、という事は有りませんでした。

「大八」の由来には諸説あるようで、ウィキペディアから引用すると、

1.一台で八人分の仕事(運搬)ができるところから(代八車)。
2.車台の大きさが8尺(約2.4m)のものを大八と呼んだ。
3.現在の滋賀県大津の八町で使われていたことから、「大津八町の車」が略され「大八車」になった。
4.芝高輪牛町の大工八五郎が発明した。
5.宮城県の針生大八郎が発明した。

引用元:大八車 - Wikipedia

という事のようです。

驚いたのは

 「大八」という名前についてはという事ですが、驚いたのは当然そこではなく別にあります。

複数の記事で記述が有ったのですが、どうやら大八車は、江戸時代にしばしば幕府から禁止令が出ていたようなのです。

しかも、街道では使用することが出来なかったようなのです。

街道で使用できないという事は、旅の一座が荷物を積んで歩いていく、あのよく見るシーンは有り得ないことになります。

その一行に主人公が匿われたりすることも出来なくなりそうです。

どうして禁止なのか

 まあ、旅の一座の事は置いておくとしても、なぜ大八車が禁止なのでしょうか。

明らかに、物を運ぶというこ事については効率が良くなることは有っても悪くなることはなさそうで、使わない手は無いと思うのですが。

調べてみると、江戸時代の支配体制の根本にかかわる事だと捉えられたからだという事のようです。

江戸時代は、武士が支配階級の時代です。

その武士がどうして支配階級なのかというと、極端に言えば戦国時代に活躍したからです。

その時の功績を基に、子孫代々続いているわけです。

簡単に言えば、江戸時代は既得権益の社会だという事です。

この事は社会全体に渡って重要視されることになります。

既得権益を否定する事は、武士階級の支配を否定することにつながるからです。

そこで、「大八車」の禁止です。

輸送に便利な「大八車」を許せば、それまで輸送を担っていた人足や馬子などの既得権益が脅かされることになります。

ひいては江戸幕府の存立基盤を侵しかねないという事のようです。

大八車から江戸時代の特徴が垣間見えた話でした。


 それにしても、旅の一座が街道を行くというイメージは何処から来たんでしょうかね。


ではでは