『日本書紀』についての話48、聖徳太子について考えた話(十七条憲法)です。
今回は十七条憲法
今回は、前回の冠位十二階に続いて、聖徳太子の業績の双璧ともいえる十七条憲法について考えます。
前回の冠位十二階については、『隋書俀国伝』に記述のある十二等の官位(本ブログの仮説では、九州王朝の官位という事になります)と同じようなものがあると示すために、名称の順番を変えることで創り出されたものだという話でした。
その流れで行けば、十七条憲法もとなりそうですが、『隋書俀国伝』にはそれらしい記述は有りません。
では何を目的としたものなのかというのが、今回の話になります。
十七条憲法への疑問
その十七条憲法に対しては、疑問が有ります。
それは、その全文が載せられていることです。
国の根幹の施策として推古天皇により取り入れられたのだとしたら、『日本書紀』編纂当時でもその名を聞けば、あああれかというぐらいには流布しているはずです。
十七条憲法を制定、施行したというだけで、分かるはずではないでしょうか。
さらにこの十七条憲法は、『日本書紀』が初出であり、その原本はおろか、写本も見当たらないようです。
以上のようなことを考慮すると、どうやら十七条憲法は『日本書紀』編纂時に創られたのではないかと思われるのです。
誰も知らないから、全文を載せたのです。
そこまでして全文を載せたという事は、その中身に必要性が有ったのではないかと考えられそうです。
気になる中身
その中身ですが、各条が誰に向けて書かれているかを纏めると次のようになります。
1.なし
2.なし
3.臣
4.群臣・百寮
5.なし
6.なし
7.人
8.群卿百僚
9.群臣
10.なし
11.群卿
12.国司・国造
13.諸々の官職に任じられた者たち
14.群臣百僚
15.臣下
16.なし
17.なし
なしというのは、全ての人またはす全ての臣下を対象としていると考えられますので、概ね役人、貴族などの権力側の人々が規範とすべき内容ということが出来そうです。
この中で12条の国司・国造だけが、妙に具体的で浮いているような気がするのです。
これを書くのが目的だったのではないでしょうか。
『隋書俀国伝』の記述
『隋書俀国伝』の前回引用した十二等の下りの次に、以下のような記述が有ります。
有軍尼一百二十人猶中国牧宰 八十戸置一伊尼翼如今里長也 十伊尼翼屬一軍尼
「軍尼一百二十人有り。なお中国の牧宰のごとし。八十戸に一伊尼翼を置く。今の里長の如くなり。十伊尼翼は一軍尼に属す。」
引用元:隋書倭国(俀国)伝(原文、和訳と解説)
「軍尼」-「伊尼翼」という行政組織と思われるものがあったと書かれています。
勿論、この行政組織が在ったのは九州王朝です。
「軍尼」は「クニ」と読むとされています。
この「軍尼」を想起させるために持ってこられのが、12条の国司・国造だったのではないでしょうか。
巧妙なのは、行政組織そのものに言及するのではなく、十七条憲法のなかで言及することで、存在するものとして言及しているところでしょうか。
国司・国造
ただし、国司・国造については、推古天皇の時代にはまだ存在していなかったのではないか、という指摘が有ります。
仁徳天皇の竈のエピソードも、その時代に竈がまあ普及していなかったりとか、どうも『日本書紀』の編集は、書かれた内容に関する考証が不十分なところがあるようです。
今回の、国司・国造についても、アイデアに酔って確認を怠ってしまったのでしょうか。
ところで、改めて読むと皇太子(聖徳太子)が作ったとは書いてありますが、施行したとは書いてないんですよね。
このあたりも巧妙です。
ではでは