一年を長く感じる事が出来るかもしれない話です。
前回の話
前回は、年を取ると一年があっという間に過ぎてしまうように感じるのはなぜなのかという話でした。
一見するともっともらしいジャネーの法則から始まって、チコちゃんによるトキメキが必要という話を経て、結論としては生きていくために重要な経験を記憶した回数がポイントなのではというものでした。
経験の少ない子供の頃は、結果的に新たな経験を記憶する回数が多くなり、一年を長く感じる事になります
それに対して、多くを経験した年を取ってからは、新たに経験を記憶することが少なく、一年を短く感じるようになってしまうという訳です。
記憶の回数を増やせば
という事は、年を取ってからでも、新たに記憶するに足るような経験をすれば良いという事になります。
とはいうものの、年を取って残りの年数の方が少なくなってくると、経験値もそれなりに高くなり、多くの事柄に対して使える経験の引き出しが多くなってきて、新たな記憶を増やすという事が難しくなって来ます。
それに加えて、新しい事に挑戦する事も少なくなりがちです。
何しろ、新しい事に挑戦するのには結構エネルギーがいるのです。
そのエネルギーが有り余っているのが、若いという事なのかもしれません。
飲むとエネルギーが補充されるポーションでもあればいいのですが、当然そんなものは有りません。
記憶については
ところで記憶については、以前の記事で次のような記事を書いています。
箸の使い方や、自転車の乗り方などの無意識で行ういわゆる「手続き記憶」についての話です。
このすでに形成された「手続き記憶」を、書き換えてやろうというものでした。
例えば箸の使い方の場合、利き手が右の場合に左手で箸を使う練習をすることで、左手で使えるようになるだけではなく、右手での箸の使い方が上達するのです。
これを、箸の使い方という「手続き記憶」を書き換えたと考えるわけです。
更に、単に利き手で無い方を使うということを、無意識に行っていたことを無理やり意識的に行う方法と考えて、無意識に出来ない方法を考えれば、そのほかの「手続き記憶」も書き換えられるのではないかと考えました。
という事は
「手続き記憶」も記憶ですから、書き換える事も回数にカウントされそうです。
という事は、すでに習得している「手続き記憶」の書き換えを行えば、一年を長く感じる事になるのかもしれません。
何も新しい事を始めなくても、箸を使うとか、字を書くとかいった日常的に無意識的に行っている事の「手続き記憶」を書き換えればいいのです。
その為の方法は、上でも見たように、意識的に行う、より具体的には利き手や足では無い方で行うという事になります。
全てそうすると、日常生活がめちゃくちゃになりそうなので、ひとつずつやるのが良いかもしれません。
一年が長くなる保証は有りませんが、箸の使い方が上手くなったり、字がきれいになったりすることも期待出来るので、やってみても良いかもしれません。
以前も書きましたが、やはり包丁を左手で使うのはチョット無理そうです。
ではでは