『日本書紀』創られた日本 14 神代についての話 4です。
残るは、佐渡
前回は、前回は、いわゆる国生み神話でイザナギ、イザナミにより生み出されたとされる大八島の内の隠岐について考えました。
元々、宗像市沖の沖ノ島であったものを、東遷後に畿内中心の大和政権に合わせる形で、隱伎之島と置き換えたという事ではないかという話でした。
今回は、大八島のうち最後に残った「佐渡」について考えて見ます。
その佐渡ですが、ご存じのように新潟の沖合にあること、本州とはバランスが悪すぎること、北部九州を中心とする倭の一部とは考え難いことなどから、隠岐同様に東遷後に置き換えられたと考えられます。
とはいうものの、前回の隠岐に対する沖ノ島のように、直ぐに思い付くような島は見当たりません。
そのため、本州などと同様に、佐渡についても基となる場所は特定出来ないと考えていました。
ところが、次のようなものを見つけたのです。

見てもらえば分かりますが、沙都島(巨済島)とあります。
ルビは振られていませんが、「さと」と読めそうです。
大八島の最後の一つは元々は、「沙都島」だったのではないでしょうか。
その読みに合わせて佐渡島を充てたと考えられそうです。
狗邪韓国
ここまで国生み神話は、元来の倭人の勢力範囲がどのように作られたのかを説明した神話だったという事で、大八島の元々の場所を考えて来たわけです。
という事は、佐渡が沙都島(巨済島)であるならば、沙都島(巨済島)は倭人の勢力範囲だったという事になります。
さらに、上に挙げた地図を見てもらうと、沙都島(巨済島)は対馬の対岸ともいえる場所に位置していることが判ります。
この位置関係から一つの国が思い浮かびます。
『魏志倭人伝』に出てくる「狗邪韓国」です。
邪馬台国を訪れるために帯方郡を出た使者が、朝鮮半島を南に東に旅して到着するのが狗邪韓国です。
その場所が、沙都島(巨済島)だとすればどうでしょう
「韓国」と付くので、現代の人間からすると韓人の国と思いがちですが、倭人の国だったのです。
そう考えると、『魏志倭人伝』の「その北岸の狗邪韓国に至る」という記述も納得がいくものになります。
「狗邪韓国」が、沙都島という島にあったわけですから、朝鮮半島本土との間は水面で隔てられており、それを「倭人の領域の北岸」と呼ぶのに違和感はありません。
さらに、その後に「七千余里」と初めて距離に関する表現が出てくるのも、単に朝鮮半島を移動した距離では無く、帯方郡から倭人の勢力範囲が始まる所までの距離を記したと考えることが出来そうです。
そもそも、『魏志』の中の倭人のことについて書いてある『倭人伝』に出てくる国なので、当然倭人の国という事も言えるかもしれません。
ではでは