『日本書紀』についての話5、編纂の目的について考えた話5です。
今回は編纂周辺を
前回の記事で、藤原不比等には、『日本書紀』を編纂させてまで文武天皇の正統性を示す必要性が有ったと考えました。
その中で、編纂を行わせたのは、不比等の晩年になってからだと書きました。
今回は、その編纂の周辺を、もう少し掘り下げてみたいと思います。
手本は『史記』
不比等が権力の存続を考えた時に、様々な方策を考慮したと思われます。
その中で、思いいたったのが、『史記』を始めとする中国の歴代の王朝の事をまとめた歴史書だったのではないでしょうか。
藤原鎌足の次男で有った不比等は、それに見合う教育を受けていたはずです。
「大宝律令」編纂において中心的な役割を果たしたと考えられていることからも、それなりのレベルの知識を有していたと考えるべきでしょう。
当然、中国における歴史書の、現王朝の正統性を示すためのものという有り方についても、知識が有ったはずです。
同様のものを作ればいいと思いついたのだと思います。
その上で、日本では前例がないという事になるので、参考にする対象は、最初の『史記』ということになります。
一から全て作っていない
さて、『史記』をターゲットと考えた時に、不比等にはアイデアが有ったと思うのです。
一から全てを作らなくとも、天武天皇が川島皇子以下に纏めさせた、「帝紀」と「上古の諸事」を利用すれば良いと思ったのではないでしょうか。
こうする事により、神話の5帝時代から始まる『史記』に匹敵するものが作れると考えた訳です。
当然、天武天皇より前までの部分が纏められているはずで、それに天武、持統の両天皇に関する部分を追加した上で、全体の体裁を整えたのが『日本書紀』だったのです。
舎人親王撰上の意味
これを舎人親王が元正天皇に撰上したのですが、これも正統性を確かにするために必要な事だったと考えられます。
舎人親王は、天武天皇の息子です、その息子が撰上した歴史書に、前回の記事で触れたように、皇位を禅譲される人物だったと文武天皇は書かれていることになります。
舎人親王が、兄弟の誰かではなく孫の文武天皇への、その母持統天皇経由の譲位を是としたことになる訳です。
『日本書紀』の編纂に、舎人親王が直接関わったのかどうかは定かではありませんが、彼が撰上することに大きな意味があったのです。
その時代の権力の正統性を示すという点からいって、『日本書紀』は正に大和政権の「正史」なのです。
ではでは