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邪馬台国から大和へ 59 -『日本書紀』3 編纂の目的3-

日本書紀』についての話3、編纂の目的について考えた話3です。

 

 

今回は背景の回

 今回の記事は、藤原不比等を『日本書紀』の編纂の黒幕と考えた前回の記事を受けて、その背景を考える回となります。

 

yokositu.hatenablog.com

 

不比等が仕えた天皇

 背景を考えるにあたって、先ずは、不比等が仕えた、持統、文武、元明、元正の4代の天皇の関係を見てみたいと思います。

 

引用元:元正天皇 - Wikipedia

 

天武天皇の死後、皇太子の草壁皇子が即位する前に亡くなってしまいます。

母である天武天皇后は、孫で後の文武天皇皇位に就けるために、それまでの間自ら皇位に就き、持統天皇となります。

この時に、草壁皇子の兄弟の高市皇子などが、皇位を継ぐことも考えられます。(先代の天武天皇も、先々代の天智天皇の弟でしたから、あり得ないどころかむしろ高い確率で考えられる未来です。)

それを実現させないように、天武天皇の妻の持統天皇の即位という手を打った訳です。

その後、その成長を待って文武天皇に譲位します。
この時、文武天皇はわずか15歳であり、前例のない若さでの即位でした。

さらに文武天皇が25歳の若さで亡くなってしまうと、その子で後の聖武天皇に繋ぐために、母の元明天皇、姉の元正天皇と、まさになりふり構わずといった感じで代を重ねていきます。

不比等も関わっていた

 この流れには、不比等が大きく関わっていたと考えられます。

先ず、元々不比等草壁皇子に仕えていたと考えられており、その子である文武天皇皇位に就ける工作に、当然関わっていたと思われます(自分の将来を賭けたと言っても良いかもしれません)。

その文武天皇の夫人は、不比等の娘の藤原宮子であり、その間に出来た子が後の聖武天皇になります。

更に、聖武天皇にも、もう一人の娘光明氏を嫁がせています。

このようにして、外戚としての立場を作り上げることにより、自らの権力を作り上げていったのです。

始まりは文武天皇

 以上見てきたように、不比等の作り上げた権力構造の始まりとも言えるのが、持統天皇から文武天皇への譲位でした。

不比等には、自らの権力の正統性を示し次代以降の藤原家へとつなぐために、文武天皇の正統性を示す必要があったのです。


 文武天皇は息子が天皇であるのは勿論のこと、祖父、祖母、母、姉も天皇という事になるわけで、凄まじいですよね。


ではでは