『日本書紀』創られた日本 16 神代についての話 6です。
狗邪韓国
今回は、直接『日本書紀』の内容には関係がないのですが、「狗邪韓国」について考えて見たいと思います。
その狗邪韓国については、国生み神話でその誕生が語られる大八島の一つ佐渡が、元々は朝鮮半島南部の沙都島、現在の巨済島であり、邪馬台国の時代に狗邪韓国が有ったのではないかとしました。
そして、『魏志倭人伝』の記述から考えて、狗邪韓国も倭人の国だったのではないかとも、考えました。
ところが、狗邪韓国が倭人の国だとは思うのですが、『魏志倭人伝』の記述に少し気になる点が無いわけではないのです。
邪馬台国への旅程は、帯方郡を出発した後、狗邪韓国を経て、対馬、壱岐と続いていきます。
その中で、対馬以降の国については、その行政形態、戸数等々様々な情報が記録されていますが、狗邪韓国には全くないのです。
この狗邪韓国に関しての記述に関する疑問について考えて見ます。
『魏志倭人伝』に書かれている国
『魏志倭人伝』に書かれている国の中には、狗邪韓国と同じようにほぼ国名だけという国が他にも出て来ます。
邪馬台国連合ともいうべき国々の内、遠くに在って国名だけしか分からない国として斯馬国、己百支国等21ヶ国が、国名だけ記載されているのです。
さらに、邪馬台国の尽きるところである南に位置し、敵対する国として狗奴国が出て来ます。
男王がいて、卑弥呼と対立してしたことが語られますが、それ以上の詳細は有りません。
これらの記述を見ると、どうやら魏からの勅使が直接訪れなかった国に関しては、国名のみ、またはそれに準ずる記述になっていると言ってよさそうです。
しかし、狗邪韓国は旅程の最初に経由しているのです。
ますます謎は深まりました。
勅使の派遣先
さて、『魏志倭人伝』は、魏から派遣された勅使の報告を基に書かれていると考えられます。
その勅使は、邪馬台国連合の朝貢に応じて、倭の中の勢力の一つである邪馬台国連合へと派遣されました。
結果として、その報告書は、倭の中の邪馬台国連合の位置付けと規模を報告するものになり、邪馬台国連合の中で直接訪れた国について詳細に報告する形になったという事なのではないでしょうか。
という事は、訪れているのにも関わらずほぼ国名しか書かれていない狗邪韓国は、倭の国ではあるが邪馬台国連合の構成国ではないという事になります。
邪馬台国連合の影響力が朝鮮半島まであった、とは単純に言えないのかもしれません。
ではでは